[[Histrie de Boonen]]
*Yves I (1127~1161) 後半 [#x4f5bc43]
**雑記:Yvesの治世中盤に関して [#ld8df3b9]

失敗に終わったFlanders公の乗っ取りがまだどうなるか分からなかった1141年8月、Savoieの隣
PiemonteがSeljuk Turksから独立してたのでこれを占拠・解放。所領は全部で5州になった。

#ref(0037-piemonte.jpg)
 &color(brown){※PiemonteのShiekは反乱を起こして独立、鎮圧に来たSeljuk Turksの軍勢がPiemonte勢を倒し終わった頃を見計らって};
 &color(brown){宣戦布告し、横から頂くというこそ泥戦法。だがこれが後の禍の種に。上の画像、Savoieに居る黒x銀の旗がBoulogne伯勢。};

前回で述べたように、Yvesの下の弟Boudewijnは他家へ出ていってしまったせいで、結婚を斡旋してやれない。
そこで、長女Beatrixを弟Boudewijnに嫁がせるという禁じ手を敢行。当時これやったら間違いなく破門ですね(^ω^;)
Indridが生まれる可能性は大だけど、他家に出してしまうと乗っ取られてゲームオーバーの可能性もあるし。
 
**Player gained a new trait [#qdd578ff]
 
1144年2月、同盟相手のBurgundy公がBeni Helalと戦争を始めたとの報が入る。
#ref(0038-Burgundy_started_war.jpg)

1138年に発令されたBurgosへの十字軍にFrance王が応じたので、その封臣であるBurgundy公も後に続いたらしい。
好機である。当初は北アフリカに数州を領有するのみだったBeni Helalだが、イスラム同士での小競り合いを繰り返して
Burgos、Leonを獲得するなどイベリア半島へも版図を拡げ、一伯国では対応しきれないほどの勢力へと成長していた。
そのため、Tripolitania公位創設に必要なDjerbaを取りにいこうにも、迂闊に手が出せない状態となっていたのだが
Burgosへの十字軍にFrance王や諸侯が乗ったことによりBeni Helal軍もFrance諸侯軍も共にBurgos方面へ向かい
北アフリカ周辺は手薄というおいしい状況が出来上がったことになる。
Beni Helalは画像の通り、Burgosなんかを領有してしまったせいでアップアップの状態なので、Djerbaを奪った後で
さっさと和平交渉すれば多分通るし、戦力的に見てもFrance王が負けるということは多分ないのでそのうち滅亡するはず。

「とりあえず所領の兵をまとめて北アフリカへ遠征するか。これでようやく公爵に…」

そんなことを考えていた時、ふと画面の端に何かを発見。
#ref(0039-Damm!.jpg)
 &color(brown){Tripolitania公を先に名乗られているの図};
 
あー、うん、そうですよね。称号を名乗るのに必要な領土は封臣が持っていてもいいんですもんね。Tripolitana周辺を
攻略するのに一番犠牲払ったのがうちで、しかも横から入ってきて邪魔した挙句、関係ないやつに公爵位を下賜しようと
王様の勝手ですよね。公爵名乗るにも威信や金が必要ですけど、王様ならわけないですもんねぇ~~~・・・
 
 
 
 
 
 
 
&size(48){ぅおのれぇ~~~};
 
プレイヤーは“Vengiful(執念深い)”のtraitを獲得した。
**右往左往 [#nb5a4c9c]
France王が外征に出た影響で、一部の封臣が離反する。これを見て考え直し、やはりDjerbaを取りに行くことにする。
現Tripolitania公は名ばかり公爵で所領はSyrteの一州だけ。Djerbaを領有して称号の正当性にclaimをつけておけば
もしTripolitania公がFrance王から離反するようなことがあった場合、そのclaimを理由に攻めて公爵位を奪い取れる。
 
とりあえずBoulogne・Yperenから部隊を出してSavoie勢と合流すべくプロヴァンス地方へ向かっていると、Flanders公に
所属する部隊がDjerbaを攻撃中なのが目に入る。
 
#ref(0040-Djerba.jpg)
 
・・・あー、プレイヤーの邪魔しかしないFrance王とその諸侯にマジで殺意が沸いてきた。
 
幸いにしてDjerbaを攻撃中の部隊は“無名の指揮官の軍勢”なので、Yvesが自ら赴けば指揮権をこっちで握れる。
とりあえず一旦軍勢を解散し、Martialを任命していなければ本拠地以外からでも当主が出撃できるのでTripolitanaから
Yvesの率いる部隊が出撃、Djerbaを攻囲する。Beni Helalの部隊は全てイベリアに向かっていたので一度も反攻される事無く
1145年3月16日にはDjerbaを陥落させる。とその直後、素晴らしいタイミングで「神の平和」イベントが発生、Beni Helalと
講和してDjerbaの領有を確実なものにする。これで3/4州を得、Tripolitania公に対してその正当性にclaimをつけておく。
 
一応公爵を名乗る下地は出来たものの、現実にはまだ伯爵のまま。Tripolitania公がFrance王からかならず独立するとは
限らないし、他にも可能性を探してJerusalem公を名乗れないかと、Jerusalem首長とDenmark王の戦争に首を突っ込んで
みたりするもののこれも失敗。なかなか状況を打開できない。
#ref(0041-battle_of_jerusalem.jpg)
 &color(brown){JerusalemのEmirとの序盤戦。既にMonreal(右側の赤い州)はDenmark領になっている。JeruslemにいるのがBoulogne伯勢、};
 &color(brown){左の紫x桃の旗の部隊はJerusalem配下のSheikdom of Jaffaの軍勢。上の灰色の州がTyrus、その上、水色地に三日月のCOAが};
 &color(brown){Safad。この後わが勢は一旦北上し、Tiberiasを攻め落とした後で南下。Hebron、JaffaはDenmark王に持ってかれてしまう。};
 
Denmark王 vs Jerusalem首長に横槍入れてTiberias(ティベリアス)・Beersheb(ベェル・シェバ)・Jerusalemを獲得し
伯なのに所領が10州。おかげで統治効率は低下、遠方であるために支配が行き届かない所領では反乱が頻発し、遠征で嵩んだ
借金も手伝って領内は荒れ放題と散々な状況。France王がAntiocheiaを巡って再びEgyptと戦争を始めたので、これに乗じて
Safadを取り、弱小イスラムのTyrusも取ってGalilee公に…等とも考えるものの、Safadの主君であるEgyptは当然出てくるので
Egyptが講和に応じなければ滅亡のリスクもある。どうした物か…と考えていると、Tripolitania公が無くなってる事に気付く。
 
&color(green){「れ?」};
 
どうやらFrance王に歩調を合わせてEgyptに喧嘩を売ったために征服されてしまった模様。( ´,_ゝ`)プッ 馬鹿め。
とりあえず、遠征でマイナスになってしまったGoldを公爵位創設に必要なだけ溜めなくてはならないので軍勢は解散させる。
France王に称号を先取りされてしまう可能性は依然あるものの、戦いに次ぐ戦いで国庫はずっとゼロなので当面は大丈夫のはず。
 
Djerba攻略戦中に新しく迎えた妻Heleneとの間にも一向に男子が生まれないので、「サリカ長子」に継承法を変更したりしつつ
破産イベントで「どうせ破門されてるから」と金を優先し(破門に加えて異端者の特性まで頂きました)、意外と早く資金を調達。

&size(18){&color(blue){1148年10月、Yves van Boonen 、Tripolitania公爵となる。};};
 
#ref(0042-Duchy_of_Tripolitania.jpg)
 
打つ手打つ手が全て裏目ったりと曲折しただけに、感慨(大げさ)も一入。France王配下に、10州を有する新たな公爵が誕生した。
**天国と地獄 [#r839d794]
公爵になった途端、France王が兵を出せといってくる。手動徴兵→維持費0で対応、France王なんぞに兵は出してやんね~。
公爵位に就いたら300ちょっとの威信を得たので、なけなしのこれをはたいてDarum伯(Jerusalemの構成州)のClaimを取る。
しばらくはFrance王からの出兵要請を右から左へ聞き流しながら領内の回復に努める。それはそうと、男子が生まれない。
Inbrid覚悟でYvesの長女を嫁がせた下の弟Boudewijnのところは未だに娘二人のみ、当主のYvesは3回結婚して娘5人で
男子は私生児のChariesのみ。継承法はサリカ長子なのでとりあえずは大丈夫とはいえ、なんだかなぁ、と思っていると
「当家に男子は自分だけ~」のイベントが発生、私生児Charlesが正式に長男になる。能力はいまいちだけど、とりあえずは
跡継ぎの心配がなくなったので一安心。
CENTER:#ref(0043-event_bastard_8636.jpg)

1152年7月、弱小イスラムのSheikdum of PetraがDenmark王と戦争を始め、少数の兵でHebronを攻撃中なのを発見する。
Denmark王との戦力差は歴然としているので最終的にはDenmarkが勝つだろうが、到着にはかなりの時間がかかるはずなので
横槍を入れてHebronを得ようと画策、とりあえずアフリカの兵をまとめて付近まで行き、Petra勢がHeblonを落としたところで
宣戦布告、途中Denmark王配下の軍勢も来るものの王率いる本隊は間に合わず、制圧完了まで指揮権を握り続けることに成功。
城攻め中の反攻をその都度はね返してWar Scoreを稼いでいたためPetraとの講和は楽に成立、Hebronを得る。これにより、
 
&size(18){&color(blue){1153年4月、Yves van Boonen 、Jerusalem公爵となる。};};
#ref()
 
既に名乗った称号と合わせて Tripolitania-Jerusalem 兼任公となったわけだが、ぱっとしなかったそれまでの80年余りと
比べると僅か数年で大きく前進したことになる。その後もうっかり独立したLyon伯を攻め滅ぼしてLyonを所領に加えるなどし
勢力拡大へのしっかりとした足場が固まったかに思えた。後はYvesが異端者+破門の特性持ちなので代替わりを待ちつつ
France VS Egypt&Seljuk Turks&Beni Helal の戦いを高みの見物、とか考えていた、その矢先、
 
#ref(0048-seljuk_declared_war.jpg)
 
・・・これは…オワタかも・・・
 
 &color(brown){※どうも、過去にSeljukから独立したのを横取りした州のclaimがあったせいで宣戦してきた模様};
  
France王は無計画な戦争を繰り返し、Egypt相手にすら一進一退を繰り返している有様なので、押し返しは期待できない。
こちらの領土はたかだか10州、対するSeljuk Turksの勢力はごらんの通り。抵抗しても意味が無いのでただ眺めるのみ。
#ref()
 
Tiberias、Jerusalem、Hebron、Beershebが落ち、さらに海を渡ってきた敵によってPiemonte、Lyonが奪われる。
このまま滅亡まで攻め続けられるものと覚悟していたところ、この時点で有り金全部と引き換えに相手から講和の打診が。
受諾し、何とか危機的な状況を脱することが出来た。かなり手痛い損害ではあるが、出直しするチャンスも得られたことだし
わざわざAAR用に書き留めてきたメモと保存しておいた画像が全部無駄にならなくて良かった、と安堵するプレイヤーであった。
**JERUSALEM, that's my precious. [#x329127c]
Seljukとの戦いから、とにかく王国レベルの力をつける、というのが新たな目標として設定された。それと、イスラム相手に
戦争する時は、相手が所持するclaimが自分の所領にかかってないか、確認してから戦わなくてはという教訓を得た。 
なんにせよ、任命した司教が君主のTrait(異端者+破門)のせいで忠誠-2.5/月だったりするので早く代替わりしたい。
 
1157年、Seljukの内部で政変。封臣だったMosul首長が反旗を翻して本拠地を急襲、Seljuk王に取って代わったのだ。
この影響でSeljuk Turksの封臣がいくつか独立するが、その中にはJerusalemに封じられていた女伯も含まれていた。
他にもBurgundy地方のValaisを有するAdana(アナトリア半島からシリア方面へ向かう曲がり角)のShiekも独立した。
新しくSeljukの王となった元Mosulの長はJerusalem・Valais、どちらのclaimも所持していない。これはチャンス。
1157年12月13日、まずValaisを攻め落とす。反攻をはね返す事でWar Scoreを稼いでいたのでAdanaとはあっさり講和、
次なる目標はJerusalem。Goldが途中で尽き、Yperenのタイル工場が無くなったり、破産イベントでGoldを優先したら
信仰がマイナスされたせいで封臣・Leptis Magna司教の忠誠度がさらに大きく下がるなどしながらもパレスチナに到着。
Jerusalemは度々侵攻されてその度に主が変わっており、まともな兵が出せる状態に無く、大した抵抗も受けずに制圧完了。
最終目標(Jerusalem建国)のこともあるし、4年とちょっとでJerusalemを奪回できたのは嬉しい限り。
 
だが喜んでばかりもいられなかった。1159年9月にBeni Helalから、さらに1160年9月にはShiekdom of  Petraから
宣戦布告される。どちらも2州程度の小勢力であり、こちらの状態が万全ならば楽に潰せる相手なのだが、France王からの
出兵要請をスルーするため「手動で徴兵→維持費ゼロ」で対応していたので兵力が足りず、Beni Helalの本拠地から
傭兵部隊が複数沸いてきていることもあって単純戦力差で大幅に負けており、またしても滅亡の危機に晒されることに。
フランス側にあるBeni Helalの領地Troyesを攻略するものの多くの兵を失ってしまい、またアフリカ方面では大苦戦。
毎回海を渡る相手の隙を突いて何とか立ち回ろうとするも、Djerbaは奪回されてしまう。Petraの方はDenmark王とも
戦っているため部隊が他へ行ってるようだが、Jerusalemから出せる兵力は100程度、戻って来たら防ぐ手立てがない。
極めて苦しい状況の中、1161年1月24日、Yves van Boonen 老衰で死去。公爵就任やSeljuk Turksとの戦争など
アップダウンの激しい生涯であった。
#ref()
 
元私生児のCharlesが、領土も戦争も引き継いだ。


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