[[Histrie de Boonen]]
*Guffrot I (1085~1111) [#f0632d3d]
**私生児とパレスチナ [#o301d042]
***Eustasius II の私生児 Godfried [#h9cb88a9]
Eustasius II に、人生の終わりも近くなってから生まれた私生児。成人したのでお披露目。
Eustasius II に、人生の終わり近くなって生まれた私生児。実は成人もうちょい先だけど特に重要な人物じゃないので軽く紹介。
男子が3人いたので、特別作る必要があったわけじゃないけど一族の男子は何人居ても困るということは無いしね。
#ref(0000-map-start_k.jpg)
#ref(0009-godfried_a_bastard.jpg)
Martialがちょっと高いけどこれはTraitで底上げされてるからで元は7とかそんなもん。
それでも、掛け合わせで子孫の能力は上がるので軍事能力優先で嫁を取らせて、将軍を量産出来れば、と目論む。

1086年3月、Guffrotに娘が生まれる。結婚から8年経ってるのに男一人女一人。この家系は多産度が低く設定されてるのかな?
1086年3月、Guffrotに娘誕生。結婚から8年経ってるのに男一人女一人。この家系は多産度が低く設定されてるのかな?
弟のBoudewijnのところは5年経っても一児も出来てないし。

1088年3月、France王が、Egypt(Fatimid-ファーティマ朝)から離脱したJerusalem首長国に宣戦を布告する。
EnlandがEgyptとガチ当たりしてる時はスルーを決め込んで、Jerusalem周辺が独立したら喧嘩売るとはFrance王もやりおるな。
EnglandがEgyptとガチ当たりしてる時はスルーを決め込んで、Jerusalem周辺が独立したら喧嘩売るとはFrance王もやりおるな。
…とか言ってる場合じゃない。Jerusalem周辺がFrance王やその封臣の領土になってしまったら面倒が増えてしまう。
といって、今出て行ってたとしても伯号なので、攻囲戦の途中で公や王が乱入してきたら全部持っていかれてしまう。
う~ん、どうしよう…海を越えていくのは費用も馬鹿にならないし…。迷っているうちにFrance王軍がDarumを占拠・解放する。

今回のいくつかの事が一度で分かる便利な画
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#ref(0008-imformation_map.jpg)
・・・嘘です。うかつなところで「保存」ボタンを押してしまって細かい使い分けが出来なくなっただけです。
黄色っぽいところで囲ってあるのがJerusalem首長国の範囲。写真では既に2州がFrance王軍により奪われている。
黄色っぽい線で囲ってあるのがJerusalem首長国の範囲。写真では既に2州がFrance王軍により奪われている。

ウダウダ迷っていると1089年5月19日、「御主君が、貴方自身も十字軍に参加することを望んでいる」イベント発生。
参加すると自動的に宣戦布告、断ると“Heretic”(異端者)やら“Excommunicate”(破門)やらのTraitが付いてくる。
#rif
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どっちもあんまり嬉しくない。が、どちらかといえば異端やら破門のほうがきつい。それにこれでパレスチナへ渡る理由が出来た。
なんとかうまく立ち回れば領土を得ることが出来るかもしれない、という甘い考えの元、ついに遠征を決意、
まずはAscalonに上陸して様子を伺うことにしてBoulogneから出発する。
なんとかうまく立ち回れば領土を得ることが出来るかもしれない、という甘い考えの元、ついに遠征を決意、Boulogneから出発する。

**小競り合いと落胆 [#u67bf50f]
といあえずAscalonに上陸すると、既にFlanders公率いる部隊がJerusarlemを攻囲中(前出の画像参照)。
Jerusalem首長国は大した勢力も無いところへFrance諸侯の容赦ない攻撃を受けて涙目、軍勢はほぼ壊滅状態。
Jerusalemが落ちるのは時間の問題だけど、Jerusalem攻囲戦に参加しても兵を減らすだけで何にも得をしない。
何とか、邪魔をされないで州開放まで行きたい。で、目をつけたのがAcre(アッコン)。
AIの行軍の特徴として、とりあえず宣戦した相手の直轄領まで一直線に向かって、封臣の領地は戦争関係にない場合は
無視して進む、というのがあります。これを利用して、フランス諸侯の軍勢が他へ移動してる間に、一人Acreで戦って
他の軍勢が%%邪魔しに来る%%応援に駆けつける前に落としきってしまう、という作戦を立ててShiekdam of Acreに宣戦布告。
無視して進む、というのがある。これを利用して、フランス諸侯の軍勢が他へ移動してる間に一人Acreで戦って
他の軍勢が%%邪魔しに来る%%応援に駆けつける前に落としきってしまう、という作戦(?)を立て、Shiekdam of Acreに宣戦布告。
AscalonからAcreに向かって北上する途上、Jaffaで戦闘になるも数の差は歴然、あっさり押し切ってAcreを攻囲する。
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#ref(0010-battle_of_jaffa.jpg)

幸いJerusalem首長国の本拠地はAcreとは反対側のHebronに移動した模様。「よしこれでAcreは貰ったぜ!」
と思ったのも束の間、砦が落ちきる前に上で話が付いて((伯同士が戦ってる場合等、その伯を配下に置いてる公や王が相手と講和するとそこまでで戦争が終結します。))しまい、攻囲戦終了。
だがシステムのことがすっかり頭から抜け落ちていた筆者、「もはや後には退けん」と威信100を犠牲にして再度宣戦布告。
&size(10){何かの拍子にボタン押し間違えたぐらいに思ってたんですよね~};だがまたしても砦があと少しで落ちるというところで「上同士の」講和が成立してしまう。
そのうちAcreにもFrance諸侯の軍勢が攻め寄せてくる。その中にはChampagne公の部隊も含まれていた。
&size(10){何かの拍子にボタン押し間違えたぐらいに思ってたんですよね~};だがまたしても砦があと少しで落ちるというところで「上の間で」講和が成立してしまう。
そのうちAcreにもFrance諸侯の軍勢が攻め寄せてくる。後から叩くなら途中で講和しなくてもいいじゃない・・・
もはやこれ以上の戦いは無意味である、と判断し軍勢は解散。こつこつ貯めた700Gを十分の一にまで減らしたうえに
威信のペナルティまで支払って戦果はゼロ。どころか、Jerusalem周辺がFrance王やその封臣の領土となってしまったのは
大きなマイナス要素といえる。Boulogne家の願いとして「どこでもいいから、公爵に」というスローガンが掲げられることとなった。

**自家の子供、他家の子供 [#wc280514]
時間が前後する。
時間が前後する。Guffrotが未だパレスチナで戦っていた1090年6月、ようやく次男Fransが誕生。
&size(10){戦争出てったのその前の年の5月なんですけど…};

そしてようやく、弟Boudewijnのところにも男の子が生まれる。0歳児で(8,8,8,9)はかなり優秀。ともかく元気に育ってもらいたい。
#ref(0012-boudewijn\'s _son.jpg)

1097年5月、当主Guffrotの長男、Coenraadが成人する。管理が低いのが痛いが、それ以上に気になるのがTraitのTemperate。
#ref(0013-Coenraad_become_adult.jpg)
日本語版だと「節度がある」と訳されているこのTraitは、多産度に-2の補正が掛かる。Coenraadは長子なので
乗っ取り重視で縁組するつもりでいるけど、乗っ取りもClaim獲得も男児が生まれないことには始まらない。

何はともあれ花嫁候補を探していると、同じFlanders公配下・Yperen伯の長女がフリー。さらにこの家は娘二人のみで、男子0なのが判明。
妻も30代でこれ以上の子供は望み薄と思われるなど、かなり理想的な状況。早速長女との結婚を申し込み、一発OKを貰う。
#ref(0014-county_of_yperen.jpg)
1099年11月、Coenraadに待望の長男誕生。後はYperen伯が死ぬのを待つだけ、と思って確認すると何か息子が二人増えてる。
まだ30代前半だった前妻が死んで、新たに若い娘を嫁に貰ったらしい。ということはさらに息子が増える可能性もある( ゚д゚)マズー
Yperen伯の妻がまだ30前半でしばらくは死なないだろう、ってのも乗っ取りに動いた判断材料だったのだけど…

**裏目、裏目、裏目 [#gd0c1a8e]
1104年2月、Coenraadの長男Arnulf病死。享年5歳。あぁ、また男子が一人減ってしまう…何か数が少ないうえに全体的に病気がち。
1105年1月、現当主のGurrfotは45歳。いつ死んでもおかしくないので、今のうち((どっかで現当主が死ぬとレピュテーション半減て見た気がするんですよね。だけど無くなってるみたい。パッチのヴァージョンアップの過程で消えたのかな?))だとYperen伯の息子二人を殺ってしまうことにする。
なんと二人とも発覚無し一発成功。Yperen伯自体を殺ってしまうのも考えたけど、幼子と違って手強いし、40越えてるので死ぬのを待つことに。
だが何年経っても死なないYperen伯。どころか、さらにまた一人、新たな息子をもうけている。Ypren伯の前妻の事といい、裏目続き。

1106年8月、現Toulouse公に子供が娘一人で、両親共に30代なのを発見。Yperen伯からCoenraadにもらった嫁は若死していたので
Toulouse公の娘をCoenraadの新しい嫁に貰うことに。
#ref(0015-Duchy_of_Toulouse.jpg)
Coenraadには既に息子がいるが、Toulouse公の娘との間に男児が生まれ、かつToulouse公がこのまま死亡すれば
Toulouse公男児無く死去→CoenraadのX男がToulouse公に→サリカ血縁相続導入→兄達を押し退けて継承させたい男児がトップに
の流れでToulouse公を乗っ取れる。もう一人暗殺してまで1伯領を狙わなくとも、スマートに公位を手に入れられるならそのほうがいい。
だがToulouse公の娘とCoenraadとの第一子は娘。さらにToulouse公は30代で病死し、跡を継いだ弟には息子が5人。これも裏目に出てしまう。

この頃、Antiochとその周辺を巡ってFranceとSeljuk Turksが戦争をおっぱじめる。理由は又々%%教皇のワガママ%%十字軍。
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どうせならSeljukに押し返された挙句、海を越えて攻め込まれて
フランス周辺にイスラムの独立小国が出現するおいしい状況になれ、と思っていたが、Antioch周辺に領土を増やしてFranceとSeljuk講和。
何一つおいしい方向に転ばない・・・ヤケになってYperen伯の三男にも刺客を送る。成功するが相手に発覚、もう全然スマートじゃない。
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3人目のは私生児なんで継承に関係なし

**砂漠の公爵位 [#q402bf00]
1109年10月、当主Guffrot、精神分裂病を発症する。他人の息子を3人も手に掛けた良心の呵責か、それともYpren伯の息子らの呪いだろうか。
#ref(0018-Guffrot_schizophrenia.jpg)
1111年、FranceがAl-mrabitibsと戦争を始める。Al-mrabitibsの勢力圏はイベリア半島のごく一部以外、アフリカの西側に集中していた。
つまり、France王軍及び配下の公爵の部隊は皆そっち側へ行ってしまっていることになる。この隙を利用して、Tunisより東側、
Beni HelalのSultanから独立したイスラムの小国3つを取りに行くことにする。この3つを全て落とせば、Tripolitania公を名乗ることが出来る。
#ref(0019-provinces_tripolitania.jpg)
赤線の部分がTripolitania公の構成地域。今回狙うのは白い線で囲った東側の3州。

1111年4月、Tripolitana軍と戦闘開始。敵の数は僅かであり戦闘はBoulogne軍の圧勝に終わるものの、当主Guffrotが重傷を負ってしまう。
(分裂症のため、配下の制止を振り切って無謀な蛮勇を奮ったと脳内補完)
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だが公爵位に強い執着を見せるGuffrotは即席の輿まで作らせて戦場に出、8月14日にはついにTripolitanaを陥落させる。
#ref(0021-reberated_tripolitana.jpg)
さらにそのままLeptis Magnaへ向かおうとするGuffrotを廷臣たちの誰もが止めたいと思っていた。だが剣を手にした狂人相手に
意見しようという者はおらず、遠征は継続される。しかしLeptis Magnaへまさに足を踏み入れようという1111年8月21日、
本拠Boulogneから遠く離れた北アフリカの地でGuffrot死去。享年51歳。
#ref(0022-Guffrot_I_die.jpg)
#ref(0023-Guffrot_I_beatified.jpg)
他人の息子3人殺っといて聖人ですかwww

長男のCoenraadが跡を継いだ。


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