[[イルカの主]]

*商人王フィリップ2世(1279-1299)

1279年、ギョーム1世の死去によって、彼の次男であるサヴォイ公フィリップがブルゴーニュ王となった。
しかし、去年他界した兄であるジョセフよりも彼の方が民衆から人気が高く、
この新しい王に期待する声も大きかった。
サヴォイ公の後継には、自分と年の近いプロヴァンス公タンクレーディの次男である
オリバーを指名した。

この年、サルレス伯ギョームに次男が生まれた。
この子の名は新しい王の即位を祝って、フィリップという名前になった。
これを筆頭に1279年から1285年にかけて多くの男子が誕生した。
サルレス伯ギョームの次男フィリップと三男アンリ
ラングトック公マークの次男シモンと三男ギョーム
シュバイツ公ゴーシュの長男マクシミリアンと次男エドワルド
サヴォイ公オリバーの長男エドワルド
ブルゴーニュ公ジョフリーの長男トリスタン
ブルゴーニュ王フィリップ2世の長男ギュエリ、次男マルティンもこの頃誕生した。

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1284年、フィリップ2世はイベリア半島中央部にいるグラナダ太守を攻撃し、彼らの土地を占領した。
これによって、フィリップ2世はアラゴン王の地位を手に入れた。

その翌年、1285年フィリップ2世の祖母である上ロレーヌ公ジュネヴィーヴが、75年の生涯を終えた。
これによって空白となった上ロレーヌ公にはラングトック公マークの次男であるシモンが
上ロレーヌ公として即位した。
更にこの年、プロヴァンス公タンクレーディも死去する。
その後継には、彼の長男であるサルレス伯ギョームが即位をした。

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1287年、シュバイツ公ゴーシュに三男ベルトラントが生まれた。
更に翌年の1288年にはブルゴーニュ公ジョフリーの次男ギョームも誕生した。

1289年、フィリップ2世は長年の間ロートリンゲンで独立を保っていた
ブラバンド伯に宣戦布告をした。
この戦いも先のグラナダとの戦いと同じく数ヶ月で決着がつき、ブラバンドを獲得した。

この頃コルドバ公となった家臣が、アルジェにあるハマーディット王国に宣戦布告をした。
これに乗じ、バレンシア公、トレド公、アストゥリアス公、カタロニア公といった
イベリア半島に存在する諸侯とハマーディット王国との間で戦争となった。
ブルゴーニュ王国としては、この戦争への関与は出来るだけ避けたい意向だったが、
家臣の説得もあって参戦することとなる。

ブルゴーニュ王国軍はイベリア半島の南部、アルメリアを攻撃し占領した。
更に、ジブラルタル海峡のアフリカ側にあるセウタとタンジールを占領した。
この頃には、バレンシア公、カタロニア公、アストゥリアス公は
ハマーディット王と和平を結んでいた。
フィリップ2世もこれを見て、ハマーディット王から多額の賠償金を手に入れ、和平を結んだ。

実は、フィリップ2世の目的は賠償金であった。
4代前のギルバー1世の時代に6万ゴルデンもあった国の金も、
度重なるムスリムとの戦争により1万ゴルデンを切っている状態だったのである。
これに危機感を抱いたフィリップ2世は商業を推進して税金を稼ぐとともに、
毎月の教会への寄付金を削減し、とにかく蓄財に勤めたのである。

このことは民衆の間でも知られるようになり、
特に市民や司祭たちからは賞賛と批判の意味を込められ、商人王と呼ばれるようになる。

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1291年、フィリップ2世に三男が生まれた。名前はクリストファーと名付けられた。

1294年、フィリップ2世は神聖ローマ帝国からルクセンブルグの地と
ルクセンブルグ公の地位を得るため、彼らに宣戦布告をした。
神聖ローマ帝国はスワビア公とともにブルゴーニュ王国に攻めるも、
ブルゴーニュ主力軍に尽く撃退された。
一方のブルゴーニュ王国の別働隊は手薄となったルクセンブルグやスワビア公の首都バーデン、
帝国の首都であるアンスバッハを次々と陥落させていた。

この結果、ルクセンブルグとルクセンブルグ公の地位、更に両国から多額の賠償金を得て
和平となった。

この頃、イベリア半島ではトレド公はハマーディット王国と和平を結んでいたが、
コルドバ公は彼らに負け、そして占領された。

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