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*カルマル伯爵ジグバード1世(1066~1083) [#i2769bc4]

#ref(ジグバード1世(27歳).JPG,nolink)

カルマル朝フィンランド王家の祖ジグバード・カルマルは、名前の通りカルマル伯爵であったという。
彼以前のカルマル家の記録はない。どこかの王の臣下であったという記録もなく、独立した伯爵であったという。
人種的にはノルド人であったとされる。
性格は頑固な軍人であったといわれる。

彼は1066年にオーランド部族と戦争に突入している。理由は不明。
彼は一度攻め入ってはいるが兵力の消耗により撤退した。彼自身も重傷を負い、数年苦しめられている。
戦争中の1067年にダーラナ伯爵領から妻を娶っている。

1069年にグリーン・ハーパー団を雇って戦争継続中のオーランドに再び攻め入った。

1070年にオーランドを征服すると今度は同盟を結んでいたサタクンタ族に対して宣戦を布告した。
オーランドとの戦争中の同盟不履行がその理由と思われる。
翌年、難なくサタクンタを平定している。カルマル家はこの時点でフィンランドにおける初めてのキリスト教国家としてその地に足を踏み入れた。

1073年にはサタクンタを武力でカソリックに改宗させている。
これに反発する暴動がおきて一時的に彼はサタクンタの支配を失っている。
オーランドとカルマルから部隊を動員しこれを鎮めたようだ。

1074年にようやく息子が生まれる。
その直後、彼は北のオステルボッテンを支配するカイヌー族に宣戦を布告した。
カイヌー族はコラ族と同盟を結んでいたため彼らとも交戦状態に入った。

翌年8月、ジグバードはカイヌー族とはオステルボッテンを条件に和平している。
彼の領土はこの時点で最大のものとなる。

#ref(ジグバードのカルマル領土.JPG,nolink)

その2ヵ月後、彼に悲劇が訪れる。一人息子が健康の悪化で死去したのだ。

1076年1月には今度は妻が出産に失敗して逝去した。
結局一人目の妻との間には4人の娘しか残らなかった。
1ヵ月後に彼はシェラン島公爵領から妻を迎えた。
結婚と時同じくしてコラ族とも和平した。

結婚祝いか、結婚1ヵ月後にかれはオステルボッテンを改宗させている。例の如く武力を用いて。

1077年2月11日、彼の後継者となるレイヴァが生まれた。

1078年にジグバードはフィンランド部族間の戦争に巻き込まれたが、特に何も得ることなく講和している。

ジグバードは浮気を繰り返し非嫡出児を数人作っているが、この頃に2番目との妻の仲はが深まってからは定説を守ったという。
ジグバードは浮気を繰り返し非嫡出児を数人作っているが、この頃に2番目との妻の仲はが深まってからは貞節を守ったという。
最も妻のほうも浮気が噂されていたのだが・・・。

1082年、ジグバードはタヴァスト族に宣戦を布告。
翌年にはタヴァスト続をナイラントで滅亡に追い込んでいたが砦の守りが堅く攻めあぐねていた。

1月29日、砦を陥落させるチャンスを見出したジグバードは一気に突撃した。
1083年1月29日、砦を陥落させるチャンスを見出したジグバードは即座に行動を移した。

#ref(ジグバード1世の最期.JPG,nolink)


''「一気に守りを突き破る、我に続けぃ!」''

この突撃の結果、タヴァスト族は滅亡した。
この突撃の結果、タヴァスト族は敗北した。

しかし、彼らは一矢報いることに成功したのだ。
戦いの最中放たれた文字通り一矢がジグバードを貫いたのだ。

彼の時はその瞬間止まってしまった。ジグバード54歳の事である。
フィンランド征服に人生の丁度半分をかけた男の最期はあっけないものだった。

彼がフィンランド征服を意図的に行ったのは明らかである。
しかし、何の理由があったのかはまったく不明なのである。
彼はフィンランドの征服に狂奔したが、彼自身は前述した通りノルド人である。
民族的にはフィンランドとまったく縁はない。
熱烈な信仰者であったわけでもない彼が、異教の地フィンランド征服を行った理由は不明である。

今もって彼の夢の理由は分からない。
しかし、分かることはある。
その夢は彼の血と共に息子、レイヴァに受け継がれた。

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