[[プレイレポ/スクリーンショットで見る十字軍物語]]

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 1099年のエルサレム王国

十一世紀末のエルサレム王国。領土はやや減少した。
エルサレム王国は聖地守護のためにテンプル騎士団を創設し、王国と共同で聖地守護の任務に当たらせた。
テンプル騎士団は戒律が厳しく、おもにフランス系の僧兵によってメンバーが構成されていた。
はじめ、エルサレム王国の予備兵力のような存在だったテンプル騎士団だが、次の世紀には聖地守護の主役に躍り出るだろう。

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 1107年のエルサレム王国。

1099年から1107年にかけて、エルサレム王国はさらに領土を減らした。
この勢力後退の原因は、おもに臣下のイスラム系領主の反乱であった。
さらに、東からダマスカス首長国がエルサレム王国に攻撃を仕掛けたため、王国は聖地エルサレムを失陥している。
エルサレムの失陥は全キリスト教世界に衝撃を与え、エルサレム王国の退潮をつよく印象付けた。


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 1118年、アンティオキアを目標とした第二回十字軍がはじまった

聖地失陥に衝撃を受けたローマ法王は、ダマスカス首長国の本拠地があるアンティオキアを目標に第二回十字軍を発令した。
しかし前回の十字軍の主役だったフランスは内乱のため身動きがとれず、
他の西欧諸国もそれぞれの事情があって聖地やアンティオキアに兵を派遣することができなかった。
そのため第二回十字軍は、発令から三十年以上西欧のクルセイダーたちに無視されるのだった。

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 1141年のエルサレム近郊
 エルサレム王国は滅亡し、テンプル騎士団がキリスト教勢力の前衛を担っている

1141年、聖地守護の任務を担っていたエルサレム王国とテンプル騎士団のあいだで内乱が勃発した。
ときのテンプル騎士団総長はエルサレム王国の王号を簒奪し、これを攻撃。王国を滅ぼした。
テンプル騎士団はエルサレムに4領邦を所有する中堅国家として、エルサレムの前衛を単独で担うことになった。
このように同じキリスト教国家同士で戦争が起こったのも、この時期起こったある歴史的事件がイスラム諸国の外圧を取り去ってくれたからに他ならない。

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 左は1141年の中東情勢
 スペインのナヴァラ王国(薄い緑色)がエジプト遠征を敢行した
 右は1141年のイベリア半島
 ナヴァラ王国はレコンキスタを成功させ、ナヴァラ、カスティリャ、レオン、アラゴン、ポルトガルの五王冠を得ていた

1130年代はナヴァラ王国の世紀だった。
レコンキスタを成功裏に収めたナヴァラ王国は法王の十字軍の要請に応えて地中海を渡った。
ナヴァラ王国の攻撃によってエジプト王国は滅亡し、エジプトにはキリスト教の王国が打ち立てられた。

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 「キリスト教徒の鑑」シャビン・ジムネス
 「全てのキリスト教徒の鑑」シャビン・ヒメネス
 ナヴァラ、アラゴン、レオン、ポルトガル、エジプト、およびカスティーリャ王

そのエジプト遠征を完遂した王こそシャビン・ジムネスに他ならなかった。
そのエジプト遠征を完遂した王こそシャビン・ヒメネスに他ならなかった。
彼は逸材もちの十字軍戦士で、エジプト王となった最初のキリスト教徒だった。
ローマ法王は彼の事業を激賞し、彼を全キリスト教徒の鑑であると讃えた。
キリスト教世界は彼を聖王シャビンと呼んで讃えた。

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 しかし第二回十字軍は、アンティオキアの回復に失敗した

だが第二回十字軍は、聖王シャビンのエジプト遠征にも関わらず、アンティオキアをはじめとするシリアを回復することに失敗した。
セルジュークトルコやダマスカス首長国は依然健在で、聖地エルサレムやビザンツ帝国を圧迫していた。
中東のキリスト教徒たちは相変わらず内乱を繰り返すばかりで、一致団結してイスラムに当たることができないでいた。


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