*南方の黒い影 [#ge8036e2]

1081年、ブラガンサ伯爵オルドーニョ・デ・ブラガンサが死去。
男子の後継者はいなかったため、爵位はナバラの第一王子ゴメスのものとなった。
つまり、将来ブラガンサはナバラ王のものになるのだ。
シスナンドは宿敵の死を素直に喜べずにいた。

1084年、コインブラの宮廷はある重大な決定を下す。
莫大な負債の返済のため、金融業者から多額の融資を借り入れることにしたのである。
全くの話、コインブラの負債は、10年かかっても返せないような金額だった。
この苦渋の決断によって財政状況はある程度は改善されたが、
それでも負債は数年の歳入に匹敵する額であった。
しかも、この金貸しとの取引の代償として、
シスナンドは世間から"異端者"と見なされることとなる。

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1086年、ポルト公国はバダホス首長国に宣戦布告。
先の戦いにおいて弱体化したバダホス相手に、誰も勝利を疑わなかった。
しかし1000人のポルト軍の前に、バダホスの同盟国ムラービト朝の大軍が立ちふさがった。
しかし1000人のポルト軍の前に、バダホスの宗主国ムラービト朝の大軍が立ちふさがった。
約二倍の軍勢を前に、ほとんどの部隊が返り討ちにあい、壊滅した。
ムスリム軍はドウロ川以南の公国領を次々に落とし、
ヌノ公爵の時代において得られたアレンテージョの領地は全て失われた。
この戦いには、財政上の理由からコインブラは参加していなかったが、
700人の兵力が参加していれば、違う結果だったかもしれない。
ともかく再征服の成果は水泡に帰し、イスラム教徒は勢力を盛り返してしまった。

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1088年。次男アルヴァロと三女フィリッパが成人。
アルヴァロはの密偵頭、フィリッパは家令にそれぞれ任命された。

1089年、教区司教ジョアンが他国の宮廷へと移りたいと申し出た。
明らかに、異端者の伯爵への不満が原因だった。
なんとか引きとめはしたものの、このままではいずれ出て行ってしまう。
密偵頭アルヴァロは父のために妙案を提言した。

「神の啓示を受けた、という噂を広めましょう」

シスナンドは以降、十字軍戦士として異教徒との対決を公言し、
異端者としての評判を消すことに成功した。51歳の時である。

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もっとも、その後教区司教はポルトの宮廷へと亡命してしまった。
一度壊れた関係は修復することができなかったのだ。
また、十字軍戦士を名乗りはしたものの、
その名に対する世間の期待には、晩年まで応えることはなかった。
というより、財政的な問題から応えられなかったのであるが。

夏、シスナンドはある噂を耳にした。
娘フィリッパにある恋人ができたという噂だ。
その相手の名を聞き、シスナンドは仰天した。
男はエル・ビエンソ司教、エンリケ・ド・シャシムだった。

「聖職者との愛欲にはしるとは言語道断!」

フィリッパはコインブラの宰相、アフォンソ・マルティンスと結婚させられた。
その後彼女は新しい夫との間に多くの子供をもうけたが、
エンリケとの関係はその後もしばらくは続いていたようである。

1090年、伯爵夫人ロバ、48歳で死去。
シスナンドは大いに悲しみ、彼女の亡骸を手厚く葬らせ、
同じ年に、バルセロナ公エルメンゴル・デ・バルセロナ・ウルヘルの娘ガルセンダと
アルヴァロの結婚を成立させた後は、ほとんど隠遁生活に入ってしまった。
ポルト公がイェルサレム首長国の支配地となった、北のサンティアゴへ攻め込む際にも、
老齢を理由に出陣要請を無視し、形式的に宣戦布告を行うのみであった。
妻の死によって無気力になってしまったのだ。

1097年、コインブラはリスボアに拠点を置くイスラム国家ベニ・ヘラール王国より突如宣戦布告を受ける。
シスナンドはこれを、十字軍戦士として神に奉仕する最後の機会として、1200の兵を率いてリスボアへと攻め入った。

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数倍の数の敵軍の不意をついたコインブラ軍は野戦において勝利をおさめ、
リスボア市の包囲を開始。ポルト公の軍勢も合流し、
度々イスラム軍の攻撃を受けながらも、半年の包囲の末、城壁の隙間から突撃を敢行。
リスボアはキリスト教徒の手に落ちた。伯爵は奇跡的に無傷だった。
これも神の御加護であろう。

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1098年、ポルト公の軍勢がベニ・ヘラールの最後の領地レプティス・マグナを攻略。
ベニ・ヘラール王国は滅亡した。リスボア、レプティス・マグナがポルト公の直轄領となり、
ベニ・ヘラール王国は直轄領を全て失い、東のカタルーニャへ逃れた。
リスボア、レプティス・マグナがポルト公の直轄領となり、
ルシタニアでもっとも豊かな土地がキリスト教徒のものとなったのだ。

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その後、シスナンドは急に老け込んでしまった。
病気になり、寝室から出られなくなっても、呪い師の治療の申し出を
黒魔術だとして断固拒否し、ついには肺炎を患った。

1099年2月21日、コインブラ伯爵シスナンド・デ・コインブラ死去。享年62歳。
コインブラの所領と爵位、そしてリスボア包囲によってまたももたらされた巨額の負債は、
長男ポルト公サンショが継承した。

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続く...


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