フランケン朝の中興

プレスター・ジョン

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1200年5月、東方諸侯から「謎の異民族から攻撃を受けており援軍を請う」との報告が宮廷にもたらされた。

当初、宮廷内ではこの異民族が何者であるかを把握しきれず、
「東方へ逃れたイスラム勢力の残党である」との噂や、「いやいやインドからの遠征軍である」や
果ては「東方の三博士の子孫の国が、教皇領を滅ぼした皇帝に天罰を与えにきた」など様々な流言飛語が飛び交った。
(異民族の王がKhouryを姓としていたことが原因であったと考えられている。)

その後次第に、東方の草原を制した巨大な騎馬帝国の軍が、
ついにヨーロッパにまで押し寄せてきたのだということがおぼろげながら判明すると
皇帝は、バグダッドを中心とする南方軍とビザンティオンを北方軍を救援に向かわせた。


敗退

しかし、皇帝はこの草原の王の実力を過信していたことを思い知ることになる。
イスラムを駆逐し、大帝国を築き上げた帝国の主力軍も、
イル・ハン軍の主力である弓騎兵の速度を生かした遠距離射撃を前に為す術がなく敗退を繰り返すこととなる。

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1万以上の軍を動員しての戦闘は、1200年から1201年の間に10数回以上の局地戦が繰り広げられたが
帝国軍がイル・ハン軍に勝利できたのは、わずか一回のみであった。

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【貴重な勝利の瞬間。率いるは皇帝の兄であるハインリッヒ。(軍事能力19の素晴らしい戦略家)】

しかし、ただ一度の局地戦での勝利では戦局を変えるには至らず、
その後もイル・ハン軍の快進撃は続くこととなる。
じわりじわりではあるが、帝国領土は確実に侵食されていったのである。

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諸侯の独立

この帝国軍の敗退につぐ敗退が諸国に伝わると、
諸侯の中には皇帝に謀反し、イル・ハン軍と密かに内通する者も出てくるようになり、
帝国は、敵国の侵入と同時に諸侯の反乱も相手にしなくてはならなくなったのである。

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内憂外患を抱えることで13世紀は始まったのである。


今まで気にしてなかったんですけど、ひょっとしてAIってスタックペナルティなしなんですかね?
こっちは4万の兵がすぐに2万ぐらいまで消耗するのに相手は5万以上を維持できるって…

絶望感に打ちひしがれながら、つづく。
 


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