**Alexsandrii
**トヴェル伯Alexsandrii(1039〜1079)
***概略
1066年現在、ルーシ地域はRurikovich一族が分割統治を行っている。
一例を挙げればトヴェル伯の主君ペレヤスラブリ公はVsevolod Rurikovich(ロストフ・スモレンスク公兼任)、
キエフ公はIzyaslav Rurikovich(ガーリチ・トゥーロフ公兼任)のように。
ただし、Rurikovich一族の多くは無能ぞろいな上、継承法が男子均等相続なため強大になってもすぐに瓦解しうる状況となっている。
そのため、うまく立ち回れば早期に強国を築き上げることも不可能ではないだろう。

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現在の勢力(赤:ノヴゴロド、灰:ポロツク、青:キエフ、紺:ブロンスク、黄緑:ペレヤスラブリ、黄:トヴェル伯)

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***Alexandriiの治世

トヴェル伯は27歳の青年貴族Alexandrii。能力は軍事を除けば相応の実力がある。
独身であるため早速近所のベルオゼロ伯の廷臣と結婚。執事には出仕してきた管理13の地元貴族を登用。
彼を含む地元の貴族の中の of Tver姓の連中を適宜結婚させ、法律を定めてスタート。
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※下は伯爵家とは縁もゆかりもありません

このまま10年ほど内政して兵力を蓄え然る後に…と思ったらあっという間に主君がクマン部族と交戦状態に。
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トヴェル伯「アーアーきこえないー(…滅亡間近になったらキエフ公あたりに忠誠誓って逃げよっと)」


が、予想に反しクマンはじりじりと押され始め、ついには他のRurikovich家がクマンに宣戦しクマン大敗。
トヴェル伯涙目。
クマン部族は辛くも1、2領を残すのみで残る地域はペレヤスラブリ公やブロンスク公、あとなぜかクロアチア王の手中に収まった。

一方、ノブゴロドは最北の異教徒相手に遠征している間に別の部族が本国を強襲、陥落の危機に直面した。
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トヴェル伯「このまま占領されろ!その後わが軍が攻め込んで大領地ゲットだぜ!」

が、数度包囲されながら上手い具合にノブゴロド勢が反撃し、結局無条件講和。
またしてもトヴェル伯涙目。

1078年、有能なペレヤスラブリ公が死去、領地は分割されトヴェリ伯はスモレンスク公Vladimirの支配下にはいった。
しかし、公は精神分裂病を患い、すでに公務が果たせぬ有様で即位から数か月で多くの諸侯が離反していった。
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トヴェル伯領の隣国ウグリチ伯も独立した。このウグリチを手にすればトヴェリ公となることができる。
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トヴェル伯「これはまさに大チャンス…わずか10余年で公爵になれるぞ!!!」

が、威信もお金も足りない。
しかし今度はさらにチャンスがあった。
ちょうど同じ時期、ポロツク公がリヴォニア・リトアニアの部族と交戦しルーシを構成するビテブスクを失っていた。
異教徒相手ならば威信はいらない。ついに初めて軍の召集を行った。
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トヴェル軍2500に対し、敵方はわずか800。戦いはあっけなく終わるかに思えた…が、
Alexsandriiがまさかの負傷、しかも傷が悪化し病に伏せってしまった。
包囲戦は2か月ほどで終わり、ビテブスクはトヴェリ領となったが、トヴェル伯Alexandriiは
包囲戦が終了し、リヴォニアと講和が成った数日後、息を引き取った。享年41。
伯領は10歳の長男Rodislavが継承した。
威信も程よく貯まり、いよいよ請求をかける矢先の出来事だけに計画が大幅に遅れることとなった。
一方、停滞するトヴェル伯領を尻目にルーシ諸侯の争いは混迷を極めつつあった。
ノブゴロドとキエフは統一したが、ガリーチやリャザン公が小規模ながら独自の勢力を築き、
旧ペレヤスラブリ領内は独立伯が次々に発生、ヴォルガの向こうではブルガール国が侵攻の機会を伺い、予断を許さない状況である。
トヴェル伯領としては君主の成人を待って次なる一手を打つことを決定した。
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まさにカオス


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