ルーシ年代記

キエフ公イズヤスラフの治世

 キエフ大公だった父君ヤロスラフの死後閣下(イズヤスラフ様)がキエフ公爵に就いてから
早12年が経過していた。親族の公爵たちの間も良好ではあるが遠い将来にルーシ王国の
建設を目指すと誓っている閣下には足枷のようにも思われた。
 直轄地のうち幾つかを一族や廷臣の者に任せる事にした。統治効率の改善を狙っての事ら
しい。らしいというのは閣下が何も仰らないからで、当時一介の書記官でしかなかった私に
は分かるはずもなかった。

 当時キエフ・ルーシの周辺にはカソリック系のポーランド、ハンガリーといった王国や(ギ
リシャ)正教系のビサンティン帝国やグルジア王国、またクマン族やビャルミア族、
カレリア族、リトアニア族などといった部族国家がひしめき合っていた。
 ルリコヴィチ家も元をただせばスカンジナビア系の異教を信ずる民だったのが三代前の
公爵様が(ギリシャ)正教に改宗されて今にいたっているそうな

 それはさておき閣下はここ数年内政の指揮を執りつつ国の北に勢力を張るリトアニア族や
リヴォニア族、さらに南のベネチェーク族の領土に狙いをつけた様である。とは言うものの
閣下は軍事面はお得意では無いようで、公子であるキエフ伯ヤロポルク殿や元帥スヴャトポ
ルク殿が前面に立たれるのではないかとおもわれた。

 1075年の或る日それは突然だった。
 ベネチェーク族が宣戦布告!!
 キエフ公の政庁は一時的に恐慌状態に陥るが公爵閣下のもと態勢を立て直し連隊は出撃
準備にかかる。それは閣下の事実上の初戦でもあった。

 


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