Raoul de Hauteville(1193〜1257)後編

戦争前夜

はるか東方の地よりやってきた遊牧民族イル=ハンが今までにない弓騎兵を主力とした
10万を優に超える兵力を持つ恐るべき勢力であるということを知った時、すでにかつての
仇敵ホラズムはなす術もなく本国を奪われ、1240年代後半には旧キリキア公国の領土以外全てを失っていた。

その情報はRaoulの元に逐一届いていた。彼は直感した。
父Bohemondが遺言した占いに出てくる怪物はまさしくこの遊牧民族のことである、と。

直ちに今後の対応について協議が開催された。アンティオキア公国の兵力は最高でも15000余り。
数方向に分散しているとはいえ、イル=ハンの軍勢は2万以上と見積もるべきである。
Raoulは各大臣に方策を尋ねた。
Abdul-Haq元帥はこれまでのイル=ハンの戦闘から軽騎兵が有利だと考え、軽騎兵戦力の増強を具申した。
また、宰相のIreneは複数の大国との同盟を提案した。
この2案は採用され、実行に移されることになり、兵力バランスを変更し一方で各国へ同盟樹立の提案を行った。
結果、ハンガリー王国(エルサレム近郊に領土あり)とビザンツ帝国から受諾するとの返答を受け、
さらに同時期にはエルサレム王国からは同盟締結の打診がやってくるという幸運も訪れた。
この三国との同盟で後背の憂いは消えた。

が、ここで思わぬ事態が発生した。
第二の都市アンティオキアで天然痘が流行し、兵力の動員が大きく低下してしまったのだ。
さらには執事として活躍していた女性(名前不詳)が出産時に死亡し、全属州に暗い影を落とすこととなった。
しかし、イル=ハンの快進撃は留まることを知らず、アイユーブ朝のシリア領は次々に飲み込まれていった。
1251年にはアンティオキア公国に隣接するアレッポの藩王国が包囲され、公国は庶民に至るまで決戦近しという雰囲気に包まれた。

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そしてアイユーブ朝が講和で脱落し、最後まで抵抗したグルジア王国が1254年滅亡したとき、ついにその時がやってきた。

1254年11月28日、大部族イル=ハン、アンティオキア公国に宣戦布告。

決戦:アレキサンドレッタ

ハンガリー・エルサレム両王は同盟に反して行動を起こさなかったが、ビザンツ帝国は直ちに参戦を表明、諸侯に動員を掛け始めた。
Raoulもすぐさま大動員令を発令、病に冒された老いた体に鞭打って自らはアレキサンドレッタ隊を、Abdul-Haqには第二部隊であるアンティオキア隊
その他の都市はそれぞれベテラン指揮官が率い、ひとまずタルソスへ兵力を結集させた。
その間に直轄領カエサレイア、テルチ伯領が占領されたが、Raoulは兵の分散は危険だと考えアレキサンドレッタで全てを決する考えでいた。
1255年2月、ついにイル=ハン軍がアレキサンドレッタを包囲。
敵は予想通り2万以上の兵であった。対する公国軍は各種の影響で1万3千がやっとであった。
ビザンツ軍を待って戦うべきという廷臣もいたが、大方の意見は公国発祥の地を死を賭して守るべきというものであった。
Raoulは決断した。
公国軍は全軍をもってアレキサンドレッタへ進軍。

そして1255年2月17日。

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アレキサンドレッタの戦い。
アンティオキア公国軍1万3千 VS イル=ハン軍2万2千

圧倒的劣勢の中戦いは1ヶ月以上に渡って繰り広げられ、公国の兵士達は弓騎兵の前に次々打ち倒されていった。
しかし、公国の兵士達は臆病な振る舞いを見せることなく、次々に突撃していった。

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4月3日、アレキサンドレッタの戦いは終結した。
アンティオキア公国軍は最後の一兵まで戦い、文字通り全滅した。
そして…

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5月30日、アレキサンドレッタ陥落
6月4日、ティアナ陥落
6月29日、アンティオキア陥落
7月、アルカ、アダナー、タルソス、イコニコン陥落
そして8月、ガラテヤ陥落で小アジア・シリア全ての領土を喪失し、アンティオキア公国は実質的に滅亡した。

終章

それから7年が経った。
イル=ハンの勢力は更に進撃を続け、今や小アジアを席巻している。
エルサレム王国は前年シリア領を全て失い、今はフランスの小領主に落ちぶれている。
ビザンツ帝国乾坤一擲の反撃で小アジアは均衡を保っているが、アイユーブ朝は敗戦続きでナイルデルタまで侵攻されている。
アンティオキア公国とその支配者達ははどうなったのだろうか?
Raoulはその後アスカロンで再起を図るべく戦力の再構築に励んでいたが、1257年発作にて死去。
アスカロンの街は1259年包囲された。
Abdul-Haq元帥はアスカロン兵を率い、華々しく戦死し、アスカロンもその直後陥落した。

公爵たちの努力も神が定め、占いが導き出した運命には勝てなかった。
アンティオキア公国は歴史の中に埋もれ、彼らの勇戦も風と消えた。
だが、彼らはまさしく歴史の地層の一層を占めることはできた。それで満足すべきかも知れぬ。
世には知られず消え入ったものが無数にあるのだから。

糸冬

あとがき

結局1300年まで40年足らず滅亡してしまいました。もちろん生かすためだったら
西のどこかに領土作ることも可能でしたが、滅びの美学ってのもある!と思ったので
あえてせず、こんなプレイレポを作ってみました。
最後に、ここまで読んでくださった方、本当にありがとうございました。


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Last-modified: 2008-01-02 (水) 22:18:46