Raoul de Hauteville(1193〜1257)前編

1210年1月、Bohemondが没した時Raoulは成人したての16歳であった。
しかし彼の軍事的才能はすでに花開いていた。その彼の治世第一歩は仇敵の撃滅であった。

ルム=セルジューク朝は先の戦乱から国力が伸び悩み、辛うじて諸侯をまとめる有様であった。
さらに君主が重い肺炎に陥り、公務もままならない状況になっていたのである。
同年8月、出撃前、Raoulは士気・装備共に優れた新生アンティオキア兵に短い演説を行った。
「この10年背負い続けた苦難を清算するときが来た。勇者達よ、いざ進め!」
5000名のアンティオキア軍に抗す術のないセルジューク朝は一撃で壊滅し、10月には直属君侯国諸共滅亡した。
この久しぶりの大勝利に公国の貴族や市民は歓喜の声をあげ、ガラテヤ公の称号を得たRaoulの武勇を褒め称えた。
(Bohemondのところの画像はルム=セルジューク領制圧直後)
この活躍の背景には元帥Archembaudの貢献もあった。元亡命軍人の彼はBohemondに重用され、その娘と結婚し、多くの子を設けていた。
Raoulも彼を信頼し、セルジューク戦では第二軍の指揮を任せていた。

1212年、同盟国となっていた聖ヨハネ騎士団からアサシン教団から攻撃を受けている旨が報告された。
実力的には聖ヨハネが不覚を取ることはないが、領土に魅力があったため、直ちに参戦を表明した。
アサシン教団の同盟国の旧セルジューク諸侯が宣戦してきたが、こちらは弱小であるため、傭兵隊で対応することにした。

主力部隊を率いてアサシン教団領土へ進むRaoul。本来ならばArchembaudの姿もあるはずだ。
しかし、彼はいなかった。前年に精神分裂病に冒され、冴えていた軍事的才能も他の才能も全て地に堕ちていた。
Raoulは彼に療養を命じ、元帥には弟の諜報長官Boson(軍7外11諜12管9)を臨時に任命していた。

戦いはすぐに終わり、教団領土は公の手中に、旧セルジューク領は介入してきたビザンツ帝国が獲得した。
次なる敵は、Bohemondが膝を屈して講和した敵ホラズムである。
このために、Raoulは弟と管理能力に優れた遠方の娘を結婚させ、兵力増強に努めた。
だが、数年後またしても事件は発生する。

Archembaudの病は一向に回復せず、むしろ悪化の一途であった。しかし、彼の子供たちは有能な両親のお陰で全員が優れた能力を持っていた。
特にAbdul-Haq(訓練状態で軍事11)とBohemond(同諜報11)は筆頭格で、将来を嘱望されていた。
それを壊したのはあろうことか父親であった。
発作に見舞われたArchembaudはBohemondを一刀のもとに切り捨ててしまったのである。Bohemondは即死であった。
Raoulはその報に接し、しばらく俯いた後、Boson長官を呼び苦渋の決断をした。
翌日Archembaud元将軍は32年の生涯を閉じた。

さらに数年後、Abdul-Haqが成人し、訓練を終えた。才気に溢れる顔は父親譲りであった…。

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↑軍事17のAbdul-Haq元帥

1225年、いよいよ延期に延期を重ねた仇敵ホラズムの戦いが始まった。聖ヨハネ騎士団も参戦した。
RaoulとAbdul-Haqの二人三脚によって旧キリキア領を奪回していき、聖ヨハネ騎士団と領土を分け合った。
ホラズムの大軍も軍事的才能に溢れる二人の率いる精鋭には歯が立たず壊滅。
反撃に掛かろうとした時、ホラズムから全金貨と引き換えの講和が提示されてきた。
Raoulはこれを受けることにした。15年前、ホラズムによって父公爵が受けた屈辱を晴らしたのだ。
さらにその後1235年までに婚姻政策によってアスカロン(エルサレム王国内)と小アジアのイコニコン等も獲得。
息子2人に伯領を分割しても8領を保持するシリア-小アジア有数の国家となっていた。
兵力は15000を数え、首都アレキサンドレッタは多くの施設がある巨大都市に成長していた。
40を過ぎたRaoulはArchembaud暗殺のあとからストレス症を抱えてはいたが、至って健康そのものであった。
だが、このときが公国、そしてRaoulの絶頂期であった。

Raoulの妻は2男2女を設けた後病死していた。後妻は北方の伯爵の娘で、Raoulは彼女を深く愛していた。
だが、初産は死産となり、2度目の出産は母子共に死亡という悲惨な結末となってしまった。
Raoulの様子がおかしくなったのはこの頃からだと言われている。
そしてついに…

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廷臣たちはこの事態に右往左往しつつも、周辺国との関係は良好であることに安堵していた。
司教領を創設して神に公爵が正常に戻るよう必死に祈り続けた。
その祈りが通じたのだろうか。一度は緊張期に入って能力を落としながらもその後は小康状態を保っていた。
数年にもわたる闘病の末、ついにRaoulは自分を取り戻すことに成功した。
Raoulは以前にも増して豊かなになった公国を見て感動していた。
そして公国をまとめていた大臣や息子たちに感謝の意を示し、公務に復帰することを宣言した。
公国の民も公爵の復帰に喜び、土地の生産力も多くの地で増加に転じていった。
再びアンティオキア公国に日が昇るときがやってきたのだ、と誰もが信じていた。

だが、そのころ東方の一地域で異変が生じていた。
やつらが、来た。

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Last-modified: 2008-01-02 (水) 22:18:46 (4161d)