暗黒の果てより

ローマ帝国期

ドンゴラ朝ローマ帝国概要

 ジェラールの代をもってドンゴラ王朝によるローマ帝国が完成したとされている。
それ以前からビザンティウム皇帝(と呼ばれていた帝位)と神聖ローマ帝位を兼ねてはいたが、それはあくまで二つの帝位を有していたに過ぎなかった。

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▲ローマ帝国完成後のローマ帝国紋章。双頭の鷲にアレクサンドロイア王朝紋と神聖ローマ帝紋を描いている。

また、ローマ帝国の版図を有していたかと言えばそうでもなく、当時の西欧人からは「北アフリカ帝国」とか「アレクサンドロイア」、または「エジプト帝国」と呼ばれていた。
ジェラールの代以後、ドンゴラ王朝は完全なローマ帝国と認められるに至った。

 それは、ドンゴラ家の絶頂期であり、最後の輝きであった。

ジェラール1世ドンゴラ

重婚帝

 1356年に9歳にして即位したジェラールであったがこの幼帝を認めない諸侯が内乱を起こした。だが、16歳で成人する頃には内乱は終わった。
17歳にしてジェラールは4人の妻を一度に娶った。キリスト教の教義に明らかに反するものであったが、特に咎めはなかった。
翌年には2人の息子と1人の娘ができた。

帝国の完成

 1367年、ジェラールはブルグント王国に対し彼らが持つすべての王位、すなわちドイツ・イタリア・ブルグント及びロタリンギア王位を請求し宣戦した。
翌年にはそれらを獲得し、さらにボヘミア・キプロス王位を求めてボヘミアに宣戦布告した。しかし、欧州の配下の諸侯軍では対抗できず、これは軍事的に失敗してしまった。

 この頃でもやはりドンゴラ王朝はアフリカ(エジプトおよびヌビア)から一歩も出る気はなかった、彼らは欧州の諸侯の軍事力によって欧州を支配していた。
欧州諸侯が団結すればドンゴラ王朝に対抗できたかもしれないが、それに彼らが気付くのは後年のことであった。
帝国はエジプトとヌビアを重点的に整備していた、エジプトとヌビアの全州には大城と聖堂と宮殿が並び、士官学校が作られいかなる敵に対しても備えられていた。
この頃、カナリアス太守国がローマ帝国配下の諸侯を破りリビア地方を平定していた。驚いたジェラールは自ら指揮を執ってリビアを奪回した。

 1377年、ジェラールはローマにて正式に帝位についた。彼は、彼の代をもって正式に東西ローマ帝位を一つの帝位とした。
ここにローマ帝位の東西分立は正式に終わったとされている。
この際、彼はそれまでの西ローマ帝冠を使わず宝石を外し、それを東ローマ帝冠を装飾し直している。
宝石を失った西ローマ帝冠は、法王庁が保管していたがその後また別の持ち主から宝石を与えられ再び輝くこととなる。

アル・ムラービト併合

 1387年、彼の息子で皇位継承第一位であるペトラ大司教アデマールがアル・ムラービト王に宣戦布告した。
息子を守るために彼は全帝国をあげてアル・ムラービト王国を打倒しにかかった。
7年後、彼は勝利した。この戦いの中で、アデマールはアル・ムラービト王位を主張していた。
勝利後、アデマールはアルモラヴィド(アル・ムラービト)王に即位した。これによって、アル・ムラービトのそれまでの廷臣達は叛乱を起こした。
しかし、アデマールは父の軍事力でそれをすべて鎮圧し、諸侯をキリスト教徒に改宗させていった。
後に、イスラム教徒達からはこの時代は「受難の時」とまで呼ばれるようになった。

 1396年、ジェラールは逝去した。長男アルモラヴィド王アデマールが帝位についた。後に彼は聖人とされた。

アデマール大帝(アデマール1世ドンゴラ)

ドンゴラ王朝最盛期

 1365年にジェラールの長男として生まれたアデマールは、成人後に神学者としてペトラ大司教となっていた。
彼は前記の通りアル・ムラービト王となり、そのあと33歳でローマ皇帝に即位した。
彼はアル・ムラービト王としても戦争を行い、セルジューク・トルコ王位を請求していた。
皇帝即位後に彼はセルジュークと停戦した、国内が不穏だったからである。

 即位と同時に彼はバスラとリヴォニア王位を設立した。1398年にはローマで皇帝に戴冠式を行う。この時、リヴォニア地域の封臣が増えたことによりリヴォニア王国の設立を宣言した。
1405年に彼は教会法を巡って法王と対立したが、破門はされなかった。
なお、当時の法王はアデマールの弟であったため、法王はアデマールを破門により破滅させてローマ皇帝をかねるのではないかと噂された。

 この時点でフランス・ドイツ・イタリアなどの旧フランクおよび全てのバルカンとハンガリー諸侯が彼らの配下であったが、フランス王国は存続していた。
この頃フランス王はカペー家が長きにわたる簒奪から王位を回復していた。アデマールはフランス王位を狙うこともできたが、あえてしなかったと言われる。
ただ、この頃からフランスから分裂したオクシタニア王位に請求を始めていた。

長寿帝とその悲劇

 1406年、アデマールはセルジューク・トルコに再度宣戦を布告する。1410年に彼はセルジューク王位を獲得し東はペルシア・西はカナリアスに至る版図を築いた。
彼は息子ミッテールにセルジューク・アルムラービト・聖ヨハネ・アサシン教団の王位を渡した。
晩年、彼はこのことを激しく後悔することになる。

 1410年、彼の一人目の妻が亡くなった。彼は再婚したが、17歳の妻とすぐに睦まじくなった。
彼は幾度となく彼女を孕ませた、あまりにも彼の子が多くなりすぎたため与える土地がなくなってしまったほどである。

 1421年、彼はオクシタニア王位を獲得した。

 1428年、ミッテールの息子が父親に嫌気をさしたのか、ローマ帝国への帰属を宣言した。アデマールは彼にアラビア王位を与えた。
彼の家系は孫までみな王となった。しかし、これこそ後にローマが衰退する原因となった。

 1432年、アデマールの長男にしてセルジューク王ミッテールが死去。王位はその長男にしてアラビア王シモーンに移った。
が、2年後にはアラビア王シモーンも逝去し曾孫のシモーン(アラビア王シモーンの息子)が即位する。
5年後にはシモーンも逝去し、その弟ロジェが即位する。彼が死ねば準サリカ継承法をとっていたセルジューク王位は他家に渡ってしまうことが危惧された。
1年後、危惧したことが起きる。明らかに暗殺と思われる形でロジェが死去。五つ以上の王位を他家に渡してしまうことになったのだ。
73歳の大帝は怒り狂った。長男と孫、曾孫まで失った大帝にもはや理性などなかった。
もっとも、70になっても子供を作ってるような皇帝なので後継者にはいくらでもいたが、他家に王位をとられたと言うことが許せなかったのだろう。
手始めに簒奪した者の係累をすべて破門し、簒奪者の家族が帝国内に持つ所領を没収した。
そして、73歳にして大帝は自ら兵を進めて簒奪者へと兵を挙げた。
戦いは順調ではあった。だが1438年、彼は陣中のペルシアで没した。勝利は目前であった。
帝位は五男のルイが継いだ。

ルイ1世ドンゴラ

即位まで

 ルイは1411年に生まれたアデマールが46歳の時に生まれた五男である。
アデマールは合計で20人も子供を作っており、その長男から末子までの年齢差は普通の祖父と孫ぐらいの開きがあった。
もっとも、1438年にはルイより上の兄弟は亡くなっていた。
彼自身、皇帝になるなんて思ってもおらず、ローマ帝国教区長ですら肩身が重いと感じていた。
彼は単なる神学者と生きようと心に決めていたのだ。それが長男一家の不幸のおかげで帝位に就くこととなってしまった。

王位製造帝

 ルイの皇帝としての最初の仕事は領内を統一しつつセルジュークとの戦争を終わらせることだった。
これは簡単な仕事だった、セルジューク王はアデマール死去の時点ですでに領土を失っていたのだ。
彼はセルジューク・アルムラービト・アラビア・アサシン教団の王位を受け取ったが、聖ヨハネ騎士団総長位については何も言わなかった。
すでに十字軍は時代遅れとなっており、そんな地位に固執する気はなかったのだ。
後年、彼はアサシン教団を「キリスト教徒のアサシン騎士団」と改名し皇帝直属騎士団とした。

 1441年、彼はメソポタミア王位を設立した。1442年にはデンマーク王位を奪取、その翌年にはダキア王位を設立しアルメニア王国の復活を宣言、自ら王に即位した。
並行してロシアとも戦いクロアチア王位を奪取した。1444年にはシリア王位を設立する。

 1447年、フス派のキリスト教会がエジプトに来訪した。ルイはうんともすんとも言わなかったという。

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▲1452年の時点でルイとドンゴラ王朝の帝国はこのように広大な版図を持っていた。しかし、この帝国は幾多の廃王の無念によって成り立っていた。

 王位を大量に設立・奪取したルイは王位製造帝と呼ばれていた。彼の称号は「ローマ皇帝にしてアルメニア・アラビア・ブルガリア・ブルゴーニュ・クロアチア・デンマーク・エジプト・ドイツ・ハンガリー・イタリア・エルサレム・メソポタミア・ナポリ・ナバラ・セルビア・シリア・リヴォニア・ヌビア・オクシタニア・ロタリンギア・アルバニア・セルジューク・アルムラービト・ダキア・バスラ・キレナイカの王にしてキリスト教徒のアサシン騎士団総長」というとてつもなく長ったらしいものであった。
大抵、略して「ローマの皇帝にして諸国王、キリスト教徒のアサシン騎士の長」と呼ばれていた。
彼が帝国国内法を王権神授説を採用したことをもって中世が終わったとされている。

暗黒の果てより


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Last-modified: 2013-01-19 (土) 22:58:10 (1770d)