宗教問題とQ&A

中世ヨーロッパの社会とは、一言で言ってキリスト教信仰がすべてを規定した社会でした。その信仰のあり方を定めるのは信心でも聖書でもなくローマカトリック教会であり、このため当時の教会は(現在の教会とも古代の教会とも異なり)、社会すべてに絶大な影響を与える存在でした。
そういうわけで、CKの舞台となる中世を深く知るためには、教会に関する知識が不可欠となります。
あまり専門に走りすぎても仕方がないので、ここではいくつかの基本的な疑問点について、軽くまとめています。

カトリック

「ローマ教皇」と「ローマ法王」、どちらが正しいの?

  • 正しくはローマ教皇のようです。カトリック中央協議会によれば「教え導く」という表現がもっとも正しく使われているためだとしています。

カトリック中央協議会
http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/memo/pope.htm

マスコミや関係各社などにも「教皇」と表記するように申し入れているようなのですが、混在状態は続いています。
なお、国家間の関係としては、日本の外務省には国交樹立当時の定訳の「法王庁」で申請・受理されており、政変や内乱などで国家や国名が大きく変わらないかぎり変更はされないらしいので、多分政府関係の書類では今後とも「法王庁」と表記され続けることでしょう。

なお本稿ではカトリック中央協議会決定を優先し「教皇」。その政庁を公式文章にのっとり「法王庁」に統一します。

教皇と法王の違いは?

  • 上記のように単なる日本語上の翻訳の相違です。英語ではPope(the Pope)、ラテン語ではPapaです。
    ただし、「教皇」と異なり、「法王」は、日本語の普通名詞としても意味を持ちます。
    大元は仏教用語で、文字通りの「仏法の王」つまり仏のことを言う語でした。その流れでラマ教(チベット仏教)の最上位者(ダライ・ラマ14世等)も「法王」です。
    ローマ教皇は仏教徒でもなければ活仏でもないので、その意味では法王という仏教用語を当てはめるのが正しくないと言えばその通りです。

ローマ教皇の尊称は何?

  • 日本語の場合、ローマ教皇の尊称は聖下です。
    もともと大司教などの高位聖職者の尊称としては「猊下」があったのですが、ローマ法王が来日するさいに、天皇陛下とのご面談もあることから、より格調高い尊称として「聖下」が作られたらしいです。
    英語の場合、Popeに対して用いられる敬称(尊称)は、His Holinessなどで、例えば「His Holiness Pope Benedict XVI」などと用いられます。「聖下」はこの訳語と考えていいでしょう。
    教皇に次ぐ、枢機卿(Cardinal)に対してはHis Eminenceなどが用いられます。日本語ではこれは「猊下」でしょうか。
    さらにその次、大司教(Archbishop)に対してはHis Graceなどが用いられ、これは公爵(Duke)などにも使われる語で、「閣下」が一応の定訳となっています。が、翻訳時に訳し分け、大司教「猊下」とすることが多いようです。

教皇はどのくらい偉いの?

  • CKの時代においては

理論上は「教皇」とは神の名の下に諸侯の法を束ねる長であり、ようするに神の執行代理人なわけです。もっとも中世においては、俗界君主(つまりは国王や皇帝たち)から、俗界のことは俗界君主、聖界のことは聖界君主(=教皇たち)という線引きをしようという動きもあり、その地位については論争がありました。この論争が表面化したのが「カノッサの屈辱」事件でした。教皇の破門宣告に皇帝が屈したこの事件により、教皇は皇帝すら凌駕する権勢を得ることになります。
その破門、異端宣告は大きな力を発揮しました。要するに西欧ではカトリック教徒ではないと認定されたものは人として扱われなかったのです。カノッサの屈辱事件で破門を宣告されたフリードリヒ4世は、臣下のドイツ諸侯から忠誠拒否を突きつけられて屈服したのでした。

しかしながらその姿勢、特に聖ペテロの後継者という聖界君主として信徒を指導する立場にあると同時に、教皇領の君主、つまり世俗の中部イタリアの一君主としての顔も持つということは、次第に矛盾を引き起こすことになります。
特に十字軍運動が形骸化し、フランスによってアヴィニョンに教皇が擁立されるようになると、教皇の権力の低下も無視できないものとなりました。

  • その後

15世紀になってアヴィニョンの教皇とローマの教皇、ピサの教皇が統合されて教会は立て直されますが、それと前後してボヘミアでフス派、次いでドイツでルター派が生まれ、カトリックの宗教分裂がはじまります(このあたりについてはCKの続編にあたるEUでお楽しみあれ)。
17世紀以降はカトリックに留まった諸国でも自前の国教会を作る動きが活発化、教皇の権力は形骸化の一途をたどりました。
そしてイタリア統一の結果教皇領も奪われ、教皇はカトリックの精神的な長という立場に立って再出発することになります。

現代ではカトリック教会に属しない人間のほうが遙かに多いわけですが、仮に信心深くない、あるいはカトリック信者でなくても、全世界の十数億の信徒の長ですから、その影響力を無視することはできないでしょう。

次の教皇ってどうやって決めるの?

  • 教皇は枢機卿達による選挙(教皇選出会議・コンクラーベ)によって決まります。

クルセイダー・キングスではランダムで決まる教皇聖下。
現実には、80歳未満の枢機卿達による選挙で2/3の得票を得たものが次期教皇となります。
教皇の資格は、男性のカトリック教徒であること。ただそれだけです。
カトリック教徒の男性ならば誰でも教皇に選ばれることがあります。
そのため、片田舎の羊飼いが教皇に選ばれる可能性も一応あるわけです。
といっても全世界の信者の代表となるべき人物は、信仰心はもちろんのこと高い見識と知性と教養が必要となりますため、枢機卿や大司教から選出されるのが一般的で、今のところここ650年ほどは全ての選挙で枢機卿から教皇が選出されています。

コンクラーヴェでは、システィナ礼拝堂に枢機卿たちが閉じこめられ、外部との接触を断たれて選挙を行うことが知られています(但し2005年のコンクラーヴェでは、散策などは認められたそうです。ですが外との情報交換は完全に禁止されました)。このシステムが始まるのは1274年の第2リヨン公会議でのことで、1268年のクレメンス4世の死後シチリア王シャルル(シャルル・ダンジュー)が枢機卿団を支配し、教皇空位のままにおいて権力をふるったことに対する反省によります。しかしながらその後も教皇選挙への各国の影響力行使は続きました。

法王庁はローマにあり、教皇はローマ司教でもあるため、教皇はイタリア人がなるケースも多く、四百年間連続して教皇がイタリア人から選出されていた時期もありました。しかしフランス王の影響が強かったアヴィニヨン時代にはフランス人教皇が多い、宗教改革以後はカトリックのなかでの比重を増したハプスブルクの意向が反映された、スペイン継承戦争以後はフランスとスペインのブルボン朝連合が教皇選挙に影響を及ぼした、など時代を反映しているわけです。

教皇はいつ退位するの?

  • 教皇は終身制です。

といっても教皇が自ら退位をもらした場合は別とされています。先代教皇ヨハネ・パウロ二世聖下はパーキンソン病にかかり、退位するのではないかと憶測がながれたこともしばしばありました。しかし最後まで教皇の座に着いたまま天寿を全うされ、ベネディクト16世が後を継ぎました。

退位した教皇はグレゴリウス12世、廃位された教皇はヨハネス23世・べネディクトウス13世と教会大分裂の時期(1378年~1417年)に集中しています。

正教

正教のトップって誰?

  • 世界総主教
    正教のトップ、つまりカトリックの教皇にあたるのは世界総主教です。
    冗談のような名前ですが本当に「世界総主教」という名前なのでしょうがありません。
    世界総主教座は現在、イスタンブールに置かれています。
    別名コンスタンティノープル総主教。

世界総主教公式サイト(英語)
http://www.patriarchate.org/

  • 世界総主教の立場
    世界総主教、もしくはコンスタンティノープル総主教の名前が世界史でほとんど聞かれないのは、ビザンツ帝国が「皇帝教皇主義」という立場を取ったからです。
    これはつまり俗界つまりこの世の支配者である(東)ローマ皇帝がキリスト教の信徒の長である総主教の任免権を握るというもので(皇帝その人が総主教になるわけではない)、結果正教の立場は皇帝の意見を反映したと考えられているからです。
    CK的に言えば、ゲーム側がランダムに総主教を選ぶのではなく、ビザンツをプレーするプレイヤー自身が総主教を選ぶということですね。
  • CKの時代以降の世界総主教
    世界総主教は15世紀、コンスタンティノープルの陥落によって存亡の危機を迎えます。そしてその結果、オスマン朝の影響下にオスマン領内の正教徒の長として振る舞うことになりました。
    このためロシアを初めとする、オスマン朝の勢力下にない(もしくは勢力下から脱した)正教徒たちは、各々国ごとに独立した正教会を設立し、世界総主教の勢力下からも脱していきました。
    今では東欧諸国に国ごとに独立した正教会があり、各々平等の権威を認め合っています。
    ただしそのなかでも世界総主教は正教会全体の代表として特別の権威を認められているのですが。

正教とカトリックって具体的に何が違うの?

  • 偶像崇拝
    正教とカトリックの分離の最大の原因になったのは、偶像崇拝を認めるか否かでした。
    このため、正教会では今でも偶像(マリア像など)を教会に置きません。正教会が認めているのはイコンだけです。
    このため、教会を見るとどちらのものなのかはすぐにわかります。
  • 十字の切り方
    カトリックは上→下→左→右の順ですが、正教は上→下→右→左の順で切るそうです。

  • 現在世界で一般的に使われている暦は「グレゴリウス暦」であり、これは1582年に時の教皇グレゴリウス13世がユリウス暦を改正させたものです。カトリック教会も当然これを用います。
    これに対して正教会ではユリウス暦を使います。もちろん正教圏の国家でも日常的にはグレゴリウス暦が使われていますが、日本で太陰暦による二十四節気が併用される、あるいはそれ以上の割合でユリウス暦が用いられてきました。
    正教のクリスマスはグレゴリウス暦の1月7日に祝われるなど、各祝日の日付がカトリックと相違します。
  • 言葉
    正教会では典礼が主にギリシア語である上、その国に伝わった当時の言葉を用いるという規則があるため、聖書などの言葉がカトリックと大きく違います。日本ハリストス教会の聖書は明治時代の言葉を用いているのだとか……

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Last-modified: 2008-08-19 (火) 15:26:44 (3318d)