十代目-Otto 1241-(1255) †
15/6/10/8 23歳
概要 †
家系図 †
1241-ドイツ情勢 †
新Italy王Hugo1世はAnjou大公国、Friesland大公国と停戦。
Saxony大公をおとりつぶしにする。
また各地の反乱勢力と講和し、一時的に平和になるものの
大公らの忠誠を保つことはできない。
1241-Italy王国情勢 †
(略
1241-Swabia大公領 †
(図略
1172年以来、いい子になって69年、評判は”屑以下”にまで回復。
このAARを読んだ人は暗殺しまくれば余裕じゃね?とかいう作戦をたてないこと
プレイ開始 †
Rheinfelden朝復活 †
急ぐ気はなかったのだが、忠誠が20程度だったこともあり
あっさり反逆者・独立イベントが起こる
流れにしたがおう。
というわけで、Italy王国から独立宣言。Italy王国と戦争状態になる。
同時期に他の大公らもどんどんItaly王国から独立&宣戦布告。
さらにBavaria大公国、Denmark王国もItaly王国に宣戦布告。
Italy王国はGERMANY中のほぼ全てを敵に回すことになる。
1244年、さしたる戦闘もなく,Italy王国からLombardiaとBurgundy王位を奪いとる。
48年の断絶をへて、Rheinfelden朝Burgundy王国復活である。
ずっといい子にしてたんだからLombardiaぐらいご褒美くれてもいいよね
さあて、この機に領土を取り戻すことにしよう。
Italy王国から独立していた旧Swabia公領Baden、Furstenbergを武力併合
ついに三代目Rudolfの弟AnselmのFurstenberg伯家を追い出すことに成功する。
ざま〜といわざるをえない。
次に評判がさしてよくないので、信仰を上げるため司教領を作ろう。
目についたGuines、Rama、Zagrebのムスリムを追い出しRama司教領、Zagreb司教領を設置。
司教領には君主の信仰量によって忠誠ボーナスがつくのもよろしい
忠誠値上下は両方だいたい-2/月。時々献金すれば問題ないだろう。
結果
三王時代再び †
Italy王国に政変が起こる。
Franken家の者で、Friesland大公の属国でありながら
Friesland戦争直前にItaly王国に鞍替えした伯爵の一人、RuedgarがItaly王位を奪いとったのだ。
Hugo1世は廃位され、Ruedgar1世が即位する
こうも節操ないと事件の裏ではこいつが暗躍していたのでは?と妄想してしまう。
またBavaria大公JakobがGermany王位を奪う。
JakobはRheinfelden家の分家の者であるため、Rheinfelden朝Germany王国の誕生となる。
王位を二つもRheinfelden家が持つことになった
全ての王位を失ったHugo1世はその後も他の勢力から領土をたかられ、
最終的には1伯爵となって病没する。
1246年GERMANY情勢
勢力図はこうなっている。
勢力圏なら
Italy王国>Germany王国>Burgundy王国だが
ほぼ全土が直轄領のBurgundy王国にたいして、
元1伯爵だったItaly王国。
内実からするとこっちの方が有利だろう。
GERMANYの伯、公国らは臣従したり、独立したりと
GERMANYの混沌っぷりに拍車をかけている。
1246年世界情勢。 †
ここで広域な地図を見よう。
現時点で世界はこんなかんじになっている。
紹介するのはこれらの国である。
まず目につくのが緑の国。
Granadaである。
この国は元イベリア半島にいるイスラム勢力の一つであったが、早期に南部を統一。
そこから、Germany王国から独立していたBohemia王国を侵略するというウルトラGをかまし
Poland、Hungary、Croatia、イタリア半島、シチリアを蹂躙。
とってかえしてイベリア半島のキリスト教国を殲滅。イベリア統一を果たす。
現在は海を渡ってEngland王国、Scotland王国をフルぼっこにしている最強国家。
作者は脳内補完をあきらめた。
黄色がおなじみSeljuk
FRANCEでの領土は小さいものの、イランの方には広大な領土を保っており
大きさではGranadaにひけを取らない。
下手に戦争すると終末戦争におちいる可能性がある。
茶色の国家はHammadid。
地中海沿岸からエジプトを根拠地としている。
紫がMurabitids
いつのまにか西欧に進出していたというダークホースである。
これらムスリム四兄弟が西キリスト教国らにとって悩みの種となっている。
三王相まみえる †
視点をGERMANYへと戻そう。
Burgundy王国はどことも戦争していないが
(元Bavaria公の)Germany王国はItaly王国と戦っている。
さらにMurabitidsとも戦っている。
バカである
Germany王国が消えると色々問題なので
ここはItaly王国に宣戦布告し、助けてやることにする。
1246年、Italy王国に宣戦布告。
まずGermany王国は王領をいくつか占領されているので、それを解放する。
解放したところで転進。Italy王主力軍を撃破。
もうここまでやったらGermany王国が負けはしないだろうと、
1248年Italy王国と和平。前に奪われていたAnsbashを取り戻す。
が、どうもやりすぎたようで、やたらめったらGermany王国が拡大。
ていうかItaly王国の属国が裏切りまくってるのが原因か。
国土回復戦争 †
このキリスト教国の混乱に乗じMurabitidsはGERMANYへとどんどん進出。
これこそが待ち望んでいた展開。
評判を悪くせずに領土をぶんどれる。
Italy王国との戦争を早めに終わらせたのはMurabitidsとの戦争を計画していたためだったの!
ここでキリスト教国らは(結果的に)協力しあってMurabitidsに立ちむかうことになる
国土回復戦争の勃発である。
主力軍を北上させ、GERMANY北方の領土をいただくことにしよう。
まずは主力軍で敵を追い払い、後からOtto1世が進軍して直轄領にする、ブルドーザー作戦でいく。
途中、空気を読まないで上Lorraine大公国が宣戦布告してくるも
直後に「神の平和」イベントが発生。
ま さ に 神 。
上Lorraine大公はしぶしぶ引きさがった。
その後は着々と異教徒から領土を解放していき
めぼしいところを全部手に入れたので
Murabitids戦争は開戦から五年後、1253年にMurabitidsと講和することで
Burgundy王国は抜けることとなる。(Province大公国はもうちょっと続ける。)
1255年、国土回復戦争の結果 †
この度の戦争によってMurabitidsはGERMANYの領土の大半を失い、
反対にBurgundy王国は戦争の途中につまみぐいなどもした結果
領土は二倍以上に広がる。
これってチートだね!
同盟国となっていたProvince大公国はFRANCE中部を解放し
大きく領土を増やした。
ムスリムの侵略に苦悩していたキリスト教徒らはこの快挙に歓喜し、
吟遊詩人たちもキリスト教戦士の英雄譚歌っていることだろう。
一方Germany王国はムスリムほっといて
Denmark王国に攻め込み
Denmark王位を強奪、その領土をかっぱぐ。
うん。おまえはもうね