プレイレポ/聖ジョージアの騎士団

私の名前ですか? 私はテイムラズ。テイムラズ・バグラトゥニです
父の名はギオルギ・バグラトゥニ。父はグルジア王でした。母はグルジア貴族です

逸材

私は幼いころ、宮廷で育てられました
乳母や侍従、幼友達にかこまれ、幸福な少年時代を過ごしました
何一つ不自由のない、いい時代でした

すこし大きくなると、家庭教師がつきました
ある聡明なグルジア貴族が私の家庭教師につき、私に王とはなんたるかという帝王学を教えました

自分でいうのもなんですが、私は聡明な子でした
教師の教えることは、一度の講義を聞いただけでけっして忘れることなく、それどころか教師が教えていないことまで私は理解しました
あるとき、私の家庭教師は興奮して両親に報告しました
「お喜びください、グルジア王陛下。王太子殿下は、数十年に一度の逸材にござります」

小アジアへ

その頃、正教世界は困難な時代を経験していました
グルジア王国はカスピ海西岸に勢力をもち、カスピ海貿易を牛耳るデルベント首長国と苦闘を続け、
ビザンツ帝国はアナトリア半島でセルジュークトルコと一進一退の攻防を続けていました

とくにセルジュークトルコは強力な軍団を率い、ペルシャ全土を支配する、当時のイスラム勢力随一の勢力でした

ビザンツ帝国はアナトリア半島にギリシャ正教を深く信仰する敬虔な伯爵たちを多く擁していました
しかし彼らは、セルジュークトルコの軍団の前に勇敢に抵抗したのち、多くは領土を失ってヨーロッパの宮廷に流れ着くか、むなしく戦死していきました
我がバグラトゥニ家のながれを組むイコニオン伯爵もそうしたアナトリア半島の正教伯爵の一人でした
彼は1600の軍勢を率いて勇猛果敢にセルジュークトルコの弓騎兵と戦いましたが、武運つたなく、戦死してしまいました

グルジア王国の宮廷に、あわただしく急使が駆け込んでまいりました

「ギオルギ陛下、イコニオン伯爵、討死でございまする」

父は沈鬱な表情をしておりました。母はよよと泣いておりました
私はまだ幼かったので、父の表情や、母の涙の意味がはかりかねました
私の教師役の一人が、私にことの意味を教えてくれました

「イコニオン伯爵は王太子殿下の母君の親族でございます
 そして重要なことに、イコニオン伯爵の宮廷には男子がおりません
 これがどういうことかわかりますか、殿下
 あなたが、次のイコニオン伯爵になるのです」

私は仰天した

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イコニオン伯爵テイムラズ・バグラトゥニ

敗北、そして

1084年、私はグルジア王国の宮廷に戻ってきました

私はイコニオン伯爵領で伯爵として迎えられましたが、イコニオンにはセルジュークトルコの軍勢が迫っていたのでした
イコニオンの元帥は勇敢で賢明な好男子でした
彼は軍勢を率いてセルジュークトルコを迎え討ちに出陣しましたが、まもなくしてさんざんに負けて帰ってきました
元帥は私に、セルジュークトルコは強かったということ、イコニオンの防衛は危うく、ビザンツ帝国はアナトリア半島から撤退して防衛線をエーゲ海に敷くつもりであることを告げました
イコニオンがもう守れないということになると、私の身柄を無事にグルジア王国におくりかえさなければならない、イコニオン伯爵領の廷臣たちはそう考えたようでした

1084年冬、厳しい寒さの中、私はグルジア王国の宮廷に戻ってきました

二人の母

私がグルジア王国に戻ってきたとき、私を産んでくれた母はすでにこの世に人ではありませんでした

父は、母の喪が明けると、すぐに再婚しました
相手はビザンツ皇帝の親族で、中世*1にはよくあることでしたが、中年の男と16歳のうら若き花嫁とのアンバランスな結婚でした
継母は私にとって姉のような存在で、私と彼女はすぐ打ち解けました

しかしある日、宮廷に重苦しい雰囲気が蔓延しました
継母の姿を見ることはなく、私は不思議に思っていました

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グルジア王妃に異端の嫌疑

父は暗い表情をしていました

姉のように私に接してくれた継母は、とうとう異端審問官の裁判を経て、処刑されてしまいました

この事件は、グルジア王妃はじつはビザンツのスパイで、機密漏えいのために処刑されたのだとか、
ビザンツ宮廷はもともと異端的傾向をもっていた娘を厄介払いのためにグルジア王国に嫁がせたのだとか、いろいろなことが囁かれました

成人、結婚、軍役

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成人したテイムラズ・バグラトゥニ
有能、かつ正直で友好的な性格だったため、誰からも好かれた

私は成人しました

宮廷では私の妃候補についてあれこれ話題がもちあがっていました
ビザンツの宮廷から妃をまねこうとか、いや、マケドニアから、エーゲ海から、ロシアから
宮廷ではそんなさまざまな噂でもちきりでした

結局、私の妃はビザンツ皇帝の妹君ゾエ・コムネノスということになりました
1087年のことです

それからしばらくして、私に最初の子供ができました
残念なことに、娘でした
その次も娘、またその次も娘、のちに産まれたゾエの最後の子供も娘でした
私は四女に囲まれ幸せでしたが、グルジア王国の継承問題を考えると、心配にもなりました
弟のエリッツ、彼は「素晴らしい戦略家」として軍略の才能に恵まれた男でしたが、彼は、「これで次代のグルジア王は私だ」と満面の笑みでした
私は気に入りませんでした

1093年、カスピ海東岸のトルクメン首長国が、おそらくカスピ海貿易の利害でグルジア王国と衝突し、宣戦布告してきました
父は私と弟エリッツを率いて出陣することを決定しました
私もエリッツもこれが初陣でしたので、緊張しながら兵を率いてカスピ海を渡りました

いくさは順調で、その年の暮れにはトルクメン首長国は降伏し、グルジア王国はカスピ海貿易を牛耳る一大交易国家として再興しました

父の暗殺、そしてグルジア王に

ところで、私の末弟は私生児でした

彼は執念深い男で、自分の出生に対してたえず強い情念をもっていました

彼は成人するとアブハジアに封じられ、任務についていましたが、そこでよからぬ噂がながれていました

なんでも、この私生児が、父グルジア王の暗殺を企てているというのです

1095年の夏のある暑い日、父ギオルギ・グルジア王は暗殺され、死体となって発見されました

私は噂が気になってこのアブハジア伯爵に詰問の手紙を送りましたが、伯爵は、それは単なる噂にすぎず、自分も父の死に心を痛めていると返信してきました

ともかく、父が死んだため、次のグルジア王は私ということになります

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*1 というかCK

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Last-modified: 2011-12-03 (土) 12:28:50 (2184d)