ラウルの治世

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ヴァロア公ラウル

家系図(トマス死亡直前)

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ラウルの最初の仕事は、父トマスが始めたフランドル公との戦争に片をつけることであった。
兵力に勝るヴァロア公軍はフランドル公領の全てを占領し、ラウルはフランドル公位とその封臣たちへの宗主権を手に入れた。

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ニア1.金-100、信仰上昇
 2.信仰・威信低下

宣言から50年以上が経ち、記憶に留めている者がいるかすら怪しい十字軍だが、聖地への遠征に向かう狂信的な騎士たちは未だにいた。
彼らの多くは十字軍戦士である父や祖父を持っており、彼らが果たせなかった夢を自らが果たそうと意気込んでいた。
そんな騎士たちの集団はラウルの元にも立ち寄り、そのたびにラウルは彼らを手厚くもてなした。

フランドル戦争以降のラウルの治世中にはイタリア王国の内乱も鎮まり、
ヴァロア公領においても反乱を起こしたエヴルー伯を鎮圧した以外は特に大きな事件もなかった。
1139年2月、ラウルは城の廊下で何者かによって刺殺された。享年49歳であった。
ラウルには3人の庶子がいたが嫡子はおらず、弟の東フリースラント伯ルイがヴァロア公を継承した。

ルイの治世

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ヴァロア公ルイ

ルイがヴァロア公位を継承してまもなく、国王コンラート3世が崩御、弟のエルンストが即位した。

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イタリア王エルンスト

同じころナヴァラ王国では内乱が勃発し、反乱を起こしたドイツ諸侯の多くがイタリア王国に臣従した。
イタリアの国力は強まり、ルイが王位を簒奪することは難しくなった。

第一回十字軍の衰退

1142年、ルイは教皇後見人に指名された。教皇が真っ先にルイに諮問したのは十字軍の継続の是非であった。

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 1.十字軍継続、十字軍戦士になる
ニア2.十字軍中止、威信信仰-100

「『主の御心のために』、この言葉だけが70年間繰り返し唱えられてきた。しかしその言葉を実践した者がどれほどいただろうか。
国王も、諸侯も、誰一人として軍を起こさず、遠征に向かったのは一握りの敬虔な騎士や農民たち。
そして聖戦の宣言から70年が経った今も、聖地は未だに異教徒たちの手にある。これでは十字軍などなかったも同然ではないか。」
ルイは十字軍は中止されるべきであるという結論に達し、教皇にその旨を言上した。
教皇もこれに賛同し、70年間掲げられ続けた聖戦の旗はついに降ろされることとなった。

フランス王への道

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このころになるとフランス北部におけるヴァロア公の勢力基盤は確固たるものとなり、ヴァロア公によるフランス王国の復興も視野に入ってきた。
しかしヴァロア公の領地はすなわちイタリア王の勢力圏でもあり、国王が先にフランス王位を宣言すると王位が一気に遠ざかることとなる。
これを危惧したルイはフランス復興に向けて動き始めた。
1152年に国王エルンストが病死すると、後を継いだ息子のコンラート4世を国王と認めず、独立を宣言したのである。
独立公となったルイは同じく独立公となっていたブルターニュ公に宣戦を布告、その領地を全て手中に収めた。
その後もルイは旧フランスの掌握に向けての好機を虎視眈々と窺っていたが、ついにその機会は訪れず、1159年2月、ルイは55歳で世を去った。
ユー伯であった長子アレクサンデルはすでに病死していたため、次子エリィが新たなヴァロア公となった。


添付ファイル: filevm11511.jpg 135件 [詳細] file70周年記念.jpg 143件 [詳細] fileエルンスト.jpg 128件 [詳細] fileルイ.jpg 155件 [詳細] filefam4.png 459件 [詳細] file騎士の一団.jpg 128件 [詳細] filevm11261.jpg 155件 [詳細] fileラウル2.jpg 164件 [詳細]

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Last-modified: 2009-06-25 (木) 22:00:08 (3279d)