スイス公への挑戦

系図1

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4代目 謀略の人Bruno

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4代目Aargau伯Bruno [1082-1142] <1120-1142>。
ハプスブルク家の勢力拡大の端緒となった人物として知られる一方、
そのために二人の甥や自らの子を含む多数の人間を暗殺したとも言われる。

Brunoの独白、我が祖父Wernar <1066-1072> *1

我が祖父Wernarについては私が生まれる前に亡くなったため私は伝え聞くところでしか祖父について知る事はない。祖父Wernarはその叔父シュトラスブルク司教Wernarによって築かれた鷹の城を譲り受け、この地をまとめ上げた事で皇帝よりAargau伯に任じられたという。ただし、Habsburg家とAargau伯領はそれ以前よりこの地にあり、遠くはローマの昔にまでさかのぼると言うが詳しい事は最早分からない。従って、私は我が父Ottoより物語りを始める事とする。

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ヘースティングスの戦いの頃のAargau伯Habsburg家。
東隣には後に皇帝を輩出するHohenstauhen家、
その北東にはプロイセン王国を建国するHohenzollern家という豪華なメンバーが揃っている。

Brunoの独白、我が父Otto <1066-1098> (初代)

我が父Ottoは狭く小さいAargauの地に不満を抱き、高貴なるHabsburgの血こそドイツに君臨する皇帝にふさわしいと夢想する狂気の人であった。しかし、現実のHabsburg家は皇帝の勘気に触れれば一瞬で取り潰されてしまうドイツ弱小諸侯の一人に過ぎず、勢力拡大の手段として考えられるのは結婚と謀略によるより他なかった。

そのために我が父Ottoは諜報に優れた子孫を望み、デンマークより我が母Bodilを迎えた。我が母Bodilは我が兄Franzと私Brunoを生んだが、我が兄Franzは人のよいところがあり大国の宰相たりえる秀才であったが陰湿な事を苦手とし、我が父は陰気な弟の私にこそAargau伯にふさわしいと考えていたようだ。しかし、家督は長子にこそ受け継がれるべきもの、それを覆すものといえば著しい武勇であろうが、我が父Ottoの期待を受けて軍務教育を受けた私はどうにも軍隊の雰囲気に馴染む事ができず、心得違いの戦士と呼ばれる有様で輿望を集める事ができなかった。そして、我が父Ottoはその事に落胆したかのように世を去った。私に「公爵位を得るためであれば、スイスの地を血で染めよ」と呪いとも取れる言葉を残して。

父は結局悪徳をなす事はなかった。人々はAargau伯領を立派に治めた父は天国に行っただろうと言う。しかし、父はこの私には地獄に堕ちよと言うのであろうか。

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初代Aargau伯Otto [1060-1098]。Aargau伯領を無難に経営。

Brunoの独白、我が兄Franz <1098-1117> (2代目)

我が兄Franzはカリスマ的な交渉術で知られた。気前がよくお人よしで慈悲深さでも知られ、謙虚で寛大であると評判であった。あるいはドイツを治める皇帝であればその才能を十分に生かす事ができたのかもしれないが、その評判は狭いAargau伯領の中だけに留まり、せいぜい共に従軍した一部の諸侯に知られる程度であった。兄はその評判通りにAargau伯領を立派に経営したが、その表向きの明るさとは裏腹に常に何かにストレスを感じているようにも見え、後から聞いた話では自室でふさぎこんでしまい妻子を困らせてしまう事も多かったと言う。

兄は在位16年にして皇帝Ernst=Franken(2代目) の元で帝国に起きた内乱で皇帝に従い転戦し、その時に受けた傷が元で亡くなった。長子Folkhardは未だ8才で他には庶兄のBaldewinがいるだけであった。当然の成り行きとして私BrunoはFolkhardの後見人として伯領の経営を司る事となった。

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2代目Aargau伯Franz [1081-1117]。
外交能力に優れるも侯爵では発揮する機会に恵まれなかった。従軍中に受けた傷が元で死去。

Brunoの独白、我が甥Folkhard <1117-1120> (3代目)

我が甥Folkhardは驚くべき少年であった。Folkhardは幼い頃より神童と呼ばれており、8才で伯家を継ぐ事になった時もFranzの遺徳と賢母Binhildeに守られ、それを不安に思うものは誰もいなかったほどである。

そのFolkhardが兄が遺したという秘密の書状を持って私の所に来た日の事を私は一生忘れまい。兄はその外交能力を駆使して近隣諸家の内情をよく調べており、隣国Bern伯の嫡男Dietmarの息子が一人のみである事とその姉のIdaが結婚適齢期を迎えつつある事に気が付いた。しかし、FolkhardはIdaの夫となるにはまだ若く、庶兄BaldewinはAargau伯の継承権を持たないためBaldewinの子供がBern伯を継いだとしてもAargau伯領とBern伯領の統合は叶わない、と。

兄の書状はそこで終わっていた。もしFolkhardが凡庸な少年であれば兄の示唆したした恐るべき事実に気が付かず、ただの外交分析文書として棚の奥にでもしまい込んであろう。そうであれば私の魂はこれほどまでに血に染まる事はなかったであろうに。しかし、神童Folkhardはその事実に気がつき、その書状を持って私の元にやってきた。そう、FolkhardはBaldewinとその子の継承権を有する。Baldewinの子にBern伯を継承させた上でBaldewinとその子を暗殺すれば、Bern伯領は我がHabsburg家の手に落ちるのであろう、と。

あの明るく善良であった我が兄Franzが何ゆえこのような陰謀を思いついたのかは私には分からない。あるいは兄はただの外交分析文書としてこの書状をFolkhardに遺したのであろうか。いや、それは違う。この書状はIdaの成人直前にFolkhardに読むように言いつけられており、その意にFolkhardが気がつき、そして摂政の私Brunoの元に持ち込まれる事を想定されていた事は明らかだ。…兄も父からの呪いの言葉を受け取り、恐ろしい陰謀と良心のせめぎ合いに苦しみ、ここ数年、心身に異常をきたしていたのかもしれない。

ともあれ、この話が私の元に持ち込まれた以上最早引き返す道はない。私と少年FolkhardはBern伯乗っ取りの陰謀を進める事にした。

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3代目少年Aargau伯Folkhard [1109-1120]。11才で急死。叔父Brunoに暗殺されたとも。

兄の庶子BaldewinとIdaの結婚は皆に祝福されたものであったが、その後には惨劇が待っていた。Baldewinの結婚を見届けた私とFolkhardは早速謀略を開始した。まず、祝宴の帰り道にIdaの父Dietmarを暗殺し、また、その長男Folkmarの暗殺にも成功した。暗殺を急いだのは中年に差し掛かったとは言えまだ子供を望めるDietmarと成人が近いFolkmarに跡継ぎを作られる事を防ぐためだった。とはいえ、あまりに露骨過ぎたこの暗殺はすぐにBern伯の感知するところとなった。報復は当然覚悟したが、その対象はBaldewinか我が子Adalbertであろうと予想していた。

嵐の夜、Bern伯の放った刺客はFolkhardの寝所に忍び込みその胸を一突きにした。神童と呼ばれた少年Aargau候Folkhardはわずか11才で世を去った。

甥Folkhardは私に暗殺されたのだという人もいるが、それは正しいとも言えるし、誤りであるとも言える。30代半ばのDietmalにはこれ以上子は生まれなかったかもしれないし、それならば暗殺の必要はなかった。Folkmarの暗殺もFolkhardの成人を待ってからでよかったかもしれない。この見込み違いでもって私がFolkhardを殺したというのならば、それは真実であるが、それは私と神…いや、悪魔のみぞ知るところである。

Aargau伯は私が継承した。そのために私はFolkhard暗殺の疑いを受け続ける事になった。そして、私はHabasburg家のために悪魔に魂を売る事とした。

また、残念な事にあのか弱きFolkhardの犠牲は報われる事はなかった。Baldewinは妻Idaの父と弟をHabasburg家が暗殺したという罪悪感に耐える事ができず、息子を残さずして自殺。時を前後してBern伯は無謀にもドイツ王打倒の兵を上げて大敗し、Bernには王の手により司教領が設置された。私とFolkhardの陰謀は破綻し、私にはFolkhardの犠牲の代償として手に入れたBernの請求権のみが残った。

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Folkhardの庶兄Baldewin [1101-1124]。
隣国Bern伯の嫡男Dietmarの長女Idaを娶るも子を残さずして自殺。
Bern伯領の消滅によって邪魔になった叔父Brunoにより暗殺されたとも。

Brunoの独白、我が子Gerlach [1132-1135]

幼きFolkhardの死から10年、私はAargau伯領の経営に心血を注いでいた。私を巡る悪評が消えたわけではなかったが、Aargauの繁栄はそれを打ち消してくれるようにもみえた。だが、Folkhardを犠牲にした私が今更善人ぶるつもりはさらさらなかった。Folkhardの死からしばらくたった頃に我が妻Fredesendeが嫡男Adalbeltと娘3人を残して亡くなった。妻は父の方針にともない高い諜報能力を買われて私に嫁いできたが、その妻を私は愛していた。妻の死はあるいはFolkhardを死に追いやった報いかとも考えたくらいだ。すぐに後妻を娶らなかったのは何も汚い下心のためだけではない、私は本当にFredesendeを愛していたからなのだ。

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Brunoの妻Fredesende [1086-1124]。嫡男Adalbeltと3人の娘を残す。

当時、すでに隣国Neuchatal伯の嫡男Manfredの一人娘Mechtildの話は近隣でも評判であった。もちろんその理由はMechtildの子がNeuchatal伯の後継者となるからだ。そのMachtildを評判の悪い私が後妻に迎える事になった事は世間を驚かせた。Manfredにしてみれば、2人の弟がMachtildの地位を奪う事が不安であるので隣国からすぐに軍を動かす事のできる私の後見は心強いものであり、また、私はすでに嫡男Adalbeltと2人の孫(後に4人)を得ていたからAargau伯領とNeuchatal伯領の統合の心配もない、といった理由で私を選んだようである。

Manfredの誤算があるとしたら私がすでに悪魔に魂を売っていた事だろう。Machtildの娶るなり私はManfredに手をかけた。侯爵位を継承してからでは色々と面倒であるし、私より若く長生きするであろうManfredが亡くなった際に我が子Adalbeltの手を汚させるつもりなどさらさらなかった。父の死を知ってMadhtildは始めは泣き暮らしていたが私はそのMachtildをなだめ愛し、3年後に我が子Gerlachが生まれた。ああ、かわいそうなGerlach、私は心底Gerlachの誕生を喜んだが、邪まな事を心に秘めた私はGerlachを直視する事ができず、日々の政務が忙しい事にしてろく会いに行こうともしなかった。Gerlachに会いに行く度に何度考えを改めようと思った事だろう。せめてもの救いはその日が遠からずやってきた事だろう。Gerlachの外曽祖父Neuchatal伯Friedrichが高齢のために亡くなったのである。

Neuchatal伯の死後、私はすぐさま軍を整えMachtildとGerlachを擁してNeuchatal領に乗り込んだ。Machtildの叔父どもの抵抗も考えられたが、我が軍に恐れをなした彼らは尻尾を巻いていずこかへと逃げ去ってしまった。GerlachのNeuchatal伯の即位は円滑に進んだ。そして我が陰謀も容易に成功した。父が幼子を殺すのだから実にたやすい事である*2。さすがに人心は乱れMachtildは泣き喚いたが、私とMachtildの新たな子がNeuchatal伯を継承するであろうという布告とAargau軍の軍事力が事態を沈静化した。ただ、Machtildと私の間に新たな子はできなかった。かといって、用済みになったからとMachtildを暗殺する事もできなかった。それは私が先妻のFredesende同様にMachtildとその娘達を愛していたからだ。

かくてAargau伯領とNeuchatal伯領の統合は成功した。そこで私は父の墓に詣でその事を報告したが、その夜の夢に現れた父の言葉は無情のものであった。夢の中で父は再び語った。「スイスの地を血で染めよ」と。私と私の子孫達はどこまでも悪魔に魂を売らなければならないらしい。

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Brunoの次男、Neuchatel伯Gerlach。
3才でNeuchatel伯を継承するもその直後に変死。Neuchatel伯位は父Brunoの手に落ちた。

Burunoの独白、我が子Adalbelt [1103-1141]

我が子Adalbeltはまことによい嫡男であった。久しく男児に乏しかったHabsburg家において4人の息子を得た事は我が子Adalbeltが神に愛されている証拠であろう。そして私より先に亡くなった事も、Adalbeltの手を血で汚す事を嫌った神の思し召しかもしれない。悪評に包まれたこの私が、我が孫GottohardにSchweiz伯の一人娘Irmgardを、MagnusにSt.Gallen伯の娘を娶らせた事の意味を察っしなかった訳ではなかろうが、怪訝な顔を一つする事もなく従ってくれた。Aargauの領民達が血塗られた私の統治に陰口を叩きながらも従っていたのも*3、私の死後は我が兄のように善良であったAdalbeltの統治されるという希望があったからだろう。私がAdalbeltの死を見届けなければならなかったのは神の罰であろうか。いや、この程度の悲しみで私の罪が償われる事はあるまい。血塗られた私にささやきかけるのは悪魔であって私の長命はAdalbeltの死を見届けさえようとする悪魔の戯れなのであろう。

さあ、哀れな賢き我が孫Gottohardよ、私はお前に我が父の呪いの言葉を伝えなければならない。

「公爵位を得よ。そのためにはスイスの地を血で染めよ。」

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Burunoの嫡男Adalbelt [1103-1141]。Brunoより1年早く死去。人のよい事で知られた。
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Neuchatal伯継承時のHabsburg家。
Ottoの即位から半世紀の時を経てようやく勢力拡大に成功した。
ドイツの内乱の際にミラノ公が独立しGrison伯領がドイツから離れている。

スイス公への挑戦/6代目 篤信者Otto


*1 ゲーム的にはWernarより始まるが、話の都合でOttoを初代と数える
*2 継承直後は大臣がついていないため暗殺は容易
*3 2度ほどの暗殺発覚の影響で信仰-でした

添付ファイル: fileHabsburg1.png 712件 [詳細] fileWS000019.jpg 703件 [詳細] fileWS000017.jpg 702件 [詳細] fileWS000014.jpg 731件 [詳細] fileWS000013.jpg 423件 [詳細] fileWS000012.jpg 717件 [詳細] fileWS000011.jpg 711件 [詳細] fileWS000009.jpg 724件 [詳細] fileWS000005.jpg 655件 [詳細] fileWS000004.jpg 713件 [詳細] fileWS000002.jpg 729件 [詳細] fileWS000008.jpg 701件 [詳細]

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Last-modified: 2009-02-03 (火) 13:02:51 (3763d)