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Richardの時代(1097~1123)

ローマ皇帝にして
イングランド・ウェールズ・ブルターニュ・スコットランド・フランス・アクィタニア・シチリア・アイルランド・ロタリンギア・レオン・
ナヴァラ・ボヘミア・ノルウェー・マンと諸島・フィンランド・リトアニア王にしてヴェネツィア独裁官、チュートン騎士団総長(18冠)

Richardを讃う。

教会教育を受けた父が即位後着手したことはいまだ多神教を崇める東方の人々へ、
神の教えを広めることであった。
またさらなる国土の拡大にも着手した。東ローマ帝国の偉大なる首都コンスタンティノープルを奪い
ますます盛んなるセルジューク国に対抗するためには
ヨーロッパが一丸とならなければ不可能だろうと考えていたのである。

1099年5月にドイツから離反していたボヘミア王を奪い、
1102年1月に弱体化していたノルウェー王を奪い、2月にマンと諸島王を創設した。

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1106年5月、イスラム教徒が名乗るところとなっていた強勢なるカスティリャ王国と戦うも、
他のイスラム国からも攻められたカスティリャ王国はたまらず和平を求めてきた。
1104年11月、バヌーヒラル国から王子を奪う。これをキリスト化して後にキリスト国となすためだ。

父は先の2度の十字軍で教皇が自らは兵を出さず諸侯王を酷使していたのを見ていた。
特に我が国はアレクサンドリア攻略中にも関わらず急に兵をブルゴスへ転じよとさえ言われていたのである。
そして今や教皇後見人たる自分に対し再三イェルサレムを攻める十字軍を発令せよと命じてくる。

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コンスタンティノープルを持つあのセルジュク国と戦うためにはその内乱と弱体化を待たなければ不可能だ、
父は何度もそう説得していたがあまりにしつこい教皇庁に対しついに堪忍袋の緒が切れた。
教皇の発言力を低下させるためにはその力を奪うしかない。
そう考えた父は1115年6月、ローマを直轄地とし
教皇へ圧力をかけた。諸侯も教会からの圧迫には不満を抱いていたので、
これを責める声はほとんど聞かれなかった。

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1118年8月、デンマークとハンガリーが東方の異教国クマンと戦争を起こしていたので
これに乗じて参戦。すでにかのリューリクの子孫たちは大幅に弱体化されており、
キエフやノヴゴロドといった最大の拠点都市まで奪われていたのである。これを放置すればおそらく2国は敗北し、
異教の教えが西方へ拡大しかねないと懸念したのだ。

我が国を加え彼らの戦線は持ち直した。
この戦争を通じ
1119年12月にフィンランド王、1121年4月にリトアニア王を創設。
1122年1月、ついにノヴゴロドとキエフを得て和平を結ぶことに成功した。

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そうして父は1123年2月に昇天。神の教えを東方へ大いに広めることに成功したので宣教帝と呼ばれている。  

1123年2月の世界情勢
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ビザンツによるアナトリアの奪還を許すもセルジュークトルコ未だ強し。
(イングランドはズィール朝とは色被り)

Ⅰ,「征服帝」Williamの時代(1066~1097)

Ⅲ,「聖帝」Randolfの時代(1123~1147)


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Last-modified: 2011-08-05 (金) 00:01:53