イベリア正教布教記

juliaoの治世 (1081〜1107)<威信146/信仰326>

1081年10月 伯を継いだjuliaoはまだ13才だし、成人までは静観するのみかな。

1083年4月 主君メソポタミア司教領にエデッサ藩王国が侵攻。うちの国も巻き込まれる事に。
ただこっちは主のために尽くす気もなく、遠征した所で破産するのが落ちなんで、エデッサとは即和平を結ぶことでこの戦は終わった。
1.jpg
あっさり自領を奪われて領土割譲を要求する主。うざー

1083年12月 juliaoの教会教育が終わりついに正教徒に。
正教徒になってしまえば主は用無しなわけで、独立を乗っ取りで慣行する事に。(クレームは先代の時にイベントで取得)
エヴォラ割譲→即攻め→全て奪って放逐でかかった時間は1ヶ月余り。戦争後イベリアに新たな皇国が誕生した。
2.jpg
まさに外道。 ちなみにこの時点で収入10.8、兵力4200程

1085年5月 姉の娘で姪にあたるsophieと結婚。
翌86年長子Henrique(7/3/9/7)が誕生。さらに87年 次男Jose(4/2/10/5)89年 三男Raimundo(6/1/11/4)と続けて誕生する。
嬉しいけど、兄弟そろって外交能力低めなのが多少気にかかる所。

1089年3月 エヴォラの改宗に成功する
3.jpg
イベリア正教化への第一歩

1090年5月 セビリア藩王国領ファロを征服し領土が5州に。
この頃のイベリア情勢
4.jpg
トレド藩王(紫)肥大しすぎ。うちの国はこの時点で5州(水色)

1092年12月 十字軍に影響されてか、カスティーリャ王国がトレド藩王国に宣戦布告。
1093年5月 優勢なカスティーリャ便乗してうちの国もトレド領に侵攻開始。
何と兵の大半が対カスティーリャに使われてこっちには向かって来ず、ほぼ無傷での侵略という凄く美味しい状況にw

1095年10月 およそ2年半の戦争でグラナダ、カディス、ヴァレンシア等の豊かな州を含む8州を奪い和平。
一気に13州を統べる勢力へと拡大する事となった。
5.jpg
カスティーリャに欲しかった所を取られもしたけれど、倍以上の領土獲得。

1098年6月 ブラガンサ公領ポルトに侵攻。ポルトを奪い和平、その後もう一度攻め込みブラガンサ公位も奪う。これでポルトガル全域11州のうち9州を手中に。

1099年1月 ポルトガル王国樹立
6.jpg
思ったより早く王になる事に成功。イベリア統一は意外と早いかもわからんね

1099年〜1106年のおよそ7年間は奪った領土の開発と改宗等に時間と資金をついやす事に。

1107年2月 イベリア北部への遠征を計画してた矢先での突然の死去。
長子Henriqueが後をついでポルトガル国王に即位した。
7.jpg

現在の布教状況
8.jpg
達成率10.2%  5/49(マジョルカ、メノルカ含む)
国教が正教になり、少しずつだが改宗する地域も出始めてきた。


添付ファイル: file4.jpg 281件 [詳細] file2.jpg 289件 [詳細] file8.jpg 279件 [詳細] file5.jpg 271件 [詳細] file6.jpg 279件 [詳細] file1.jpg 304件 [詳細] file7.jpg 282件 [詳細] file3.jpg 303件 [詳細]

トップ   編集 凍結 差分 バックアップ 添付 複製 名前変更 リロード   新規 一覧 検索 最終更新   ヘルプ   最終更新のRSS
Last-modified: 2006-08-07 (月) 00:00:00