プレイレポ
プレイレポ/ブルガリア帝国復興AAR
転 Konstantin Assen公 1108~ †
1108年
Konstantin Assen
14才。
能力 14/12/13/11
逸材です。
クロアチア公を継ぐため留学先から急遽の帰国です。
留学先で利己的、無慈悲の好ましくない属性を身につけています。
これでは家臣の離反にあいそうです。
だが逸材です。教育の完了が楽しみです。
主君の東ローマは四方のイスラムとの戦争で青息吐息。
バルカン半島には幾つかのイスラム小国が建設されています。
しかし、東ローマと戦争中のイスラム諸国も同様に疲弊しています。
1109年
イスラム藩国となったナイッスス、ストリューモンに攻め込み併合。
敵の親分キレナイカともうまく講和に成功します。
1110年
16才。顔グラフィックがつきました。
教育が完了し、将才なき戦士です。
かなりがっかりですが基本能力が優秀なので高望みはいけないと言う物でしょう。
疑い深い属性までついて益々嫌な奴になってしまいました。
策略値の高い嫁をもらいました。
1111年
ペロポネソス半島とアテナイはイスラムに支配され、小国が建設されています。
これらのイスラム藩国を併合し国力のアップを試みます。
アテナイとメートーネーは東ローマの横槍がはいり、掠め取られてしまいますが
アカイアとモネンヴァシアの併合は成功しました。
翌年、
評判回復のためにレバノン方面のイスラムめざして進軍します。
アシュケロン、ヘブロンを取り込み、領土を安堵します。
0.4x2の0.8ポイント評判回復です。
凋落の東ローマを覗いてみると
なんとKonstantinが後継者となっています。
皇帝は重症でこのままでは東ローマ皇帝になってしまいます。
ブルガリア復興が目的なので東ローマ皇位戴冠などもってのほかです。
さて、どうしたものか。
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