フランケン朝の中興/Leopold1

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【ウルリッヒ1世(在位1124~1164年) ドイツ・イタリア・ブルグント・ボヘミア・シチリア・フランス・レオン・カスティーリャ・アラゴン・ポルトガル・イングランド・ウェールズ・スコットランド・アイルランド・ポーランド・リトアニア・ハンガリー・モーリタニア・デンマーク・スウェーデン・ノルウェー・ブルガリア・セルビア・クロアチア・ルーシ王を兼ねるビザンツ皇帝】
直轄領:Franken、Leiningen、Ulm、Wuttemberg、Venezia、Genoa、Mainz、Palermo、Byzantion


ヴォルムス協約

ウルリッヒ1世は、イングランド継承者である息子アドルフのおかげで即位したと宮中で噂され、
教皇後見人の座を、帝国最大の諸侯サヴォア公に奪われるなど、暗雲立ち込める中で即位することとなった。

彼の統治の初めは、これらの失点を挽回するが如く、
皇帝権を教皇に認めさせるヴォルムス協約を結ぶことで始まった。

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・BOPACK歴史イベント
・画像はセーブデータクラッシュ前に用意しちゃったので、レオポルド帝が写ってますorz
・ドイツ王がaiでなく教皇領が存在していれば1122~1125年の間に発生します。
・選択肢aは皇帝権拡大、威信up、王権至上制(Regal supremacy law)採用等の効果
・選択肢bは教皇権拡大、信仰up、聖俗等位制(Ecclesical balance law)採用等の効果

今回は選択肢aを選びましたが、お好みで好きな方を選べばいいと思います。


閑話休題:北方の脅威
スウェーデン=ノルウェー同君連合成立…世界征服路線(?)の前に大きな壁が。

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フランケン朝イングランド

リチャード王が71才で死去したため、彼の孫であるアドルフ・フォン・フランケンがイングランド王に即位。
しかしアドルフ幼少王は、凡庸としかいいようがなく、敵対国スコットランドやウェールズと渡り合っていけるかどうかは疑問であった。

そしてその不安は、イングランド王即位後数か月で現実のものとなる。
アドルフ王は、偉大なる祖父レオポルド帝に憧れるあまり、突如ハンマード朝へと宣戦を布告したのである。
準備もろくに整えず、ただただ気概のみで開戦したため、瞬く間にハンマード朝はイングランド軍を撃破。
ウェールズ王を退位させ、今にもイングランド王都にまで迫る勢いを見せていた。

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皇帝ウルリッヒは、イングランドの宮廷に対し帝国軍のイングランド派兵を具申するも
自らの失政を認めたくないのであろうか、あるいは父帝に対し意固地になっているのであろうか、アドルフは頑なに拒否を続けていた。


第二次レコンキスタ運動

ウルリッヒは、最早これはイングランドのみの問題ではないと考え始めていた。
イングランドが陥落すれば、帝国はフランス沿岸部にも防衛線を張らねばならず、対イスラム戦がより困難なものとなるのは明白であったからである。
ここに至り、ウルリッヒはついに非常の手段に出ることにしたのである。

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マインツの宮殿にてイングランド王即位式を行ったウルリッヒ帝の目には、一人息子を亡くした悲しみからか涙が浮かんでいたと伝えられている。
(一発で成功…親族殺しが付くことを期待していたのに…)

しかし泣いてばかりもいられなかった。イングランド軍はすでに壊滅しており、イングランド諸侯は疲労困憊。
帝国主力軍を、イングランド・イスパニア・アフリカへと送る指示を早々と出す必要があった。

このウルリッヒの即断は、戦線の伸びきっていたハンマード朝に対し有効すぎる戦火をあげ、
イングランド・イスパニアからハンマード朝を叩き出し、アフリカに橋頭堡を築くことにまで成功する。
対ハンマード朝の勝利を神に感謝し、ウルリッヒはウェールズ王であると宣言した。

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聖骸布

ウルリッヒ帝の統治も軌道に乗り始めた頃、ビザンツなど東方諸国からの巡礼者たちが聖骸布の存在を報告してきた。

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・BOPACK歴史イベント(聖骸布や聖杯イベントは年代によっていくつかのパターンがあります。)
・迷わず選択肢cを選ぶと下のようになります。

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・選択肢aを選ぶと、信仰心upに加え健康が+1されるなどのプチ奇跡が起きます。
・本当はイベント文つきの画像をキャプチャしてたのですが、誤って消してしまいました。orz


クレルヴォーのベルナルドゥス

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・BOPACK歴史イベント
・1130年から1146年の間で、ドイツ・フランス・イタリアいずれかのカトリックで異端や破門状態でない
・選択肢cかdを選ぶと金と引き替えに技術(宗教建築物)を得られます。


西方統一

スコットランドがコンスタンティノープルを制圧したとの報告を受けると、ウルリッヒ帝は複雑な気持ちになった。
皇帝の都、ギリシャ・ローマ文化の粋を集めこの都市は、スコットランド王のような田舎者には分不相応であり、
皇帝である自らにこそ相応しいものであると考えていたのである。

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スコットランド王へのクレームはイングランド王家から相続したため、開戦理由には困らなかったが、
スコットランド王は、イスパニアやコンスタンティノープルなどにも直轄地を有していたため
戦争が長引くと、教皇庁を動かし(スコットランド王は当時、教皇後見人でもあった)停戦令を出させる可能性があった。

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・BOPACKイベント(id 19505付近)
・カトリック国同士で戦っていると、教皇さまが仲裁してくる。
・即停戦して、再度宣戦しちゃえばノーペナルティなんですけどね…

そこで彼はその優れた軍事の才を総動員させ、
まず部隊を海上に待機させた上で宣戦布告をし、即座にスコットランド王家直轄地すべてを攻撃したのである。
当時60万をはるかに超える大兵力を有した帝国だからこそできた大規模な戦略である。

瞬く間にすべての拠点を失ったスコットランド王は、王位の譲位ならびにコンスタンティノープル割譲に応ずるほかなかった。
スコットランドが帝国の一部となると、様子見を続けていたアイルランド諸侯は一気に帝国の庇護化に入り、
ウルリッヒ帝は、アイルランド王としても即位することになった。
古のローマ帝国さえもなしえなかったスコットランド・アイルランド制圧を受け、宮廷は喜びに沸いたという。

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帝国が西方をすべて支配下に置き、コンスタンティノープルという東方の大拠点を得たことで、
ウルリッヒの野心的な瞳はついに東方を向くこととなるのである。


ポーランド・ハンガリー侵攻

ポーランドがクマン族の襲来を受けているとの報告を受け、キリスト教の皇帝として加勢。
物のついでにポーランド王位を強奪。「民を守れぬ者が王を名乗るなど笑止」がウルリッヒ帝の口癖であったという。
ポーランド周辺の異教徒をも制圧し、リトアニア王を名乗ったのもこの頃の話である。

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ポーランド王位を強奪した後、皇帝は傲慢な性格を露骨に示し始めた。
なんと「聖イシュトヴァーンの王冠が欲しい」というだけでハンガリーへと侵攻。
瞬く間に王冠を奪ったのである。この出来事に戦慄したクロアチア王国はビザンツ帝国との絆を新たにしたという。

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モーリタニア戦争

モーリタリアの海域で貿易商がイスラム教徒に襲われたとの報告を受けたので、成敗!
モーリタニア王を宣言。

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スカンディナビア戦争

北海油田だかなんだかで揉めたので成敗!

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内乱の危機

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崩壊するフランケン朝。
だが、転んでもただで起きるウルリッヒ帝ではなかった!
ビザンツ帝国も、幼君が即位ことで国内に動乱が起こっていると聞くと、国内の反乱をよそに外征を強行。
内乱に明け暮れるビザンツ帝国を見事滅ぼし、東西統一を果たした。(1151年)

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しかしこの無理な外征は、国内はさらなる疲弊を招き、
諸侯の反乱は激化の一途を辿り、クロアチア王国やイスラム諸国に帝国領土を侵食されるという事態を招いたのである。


クロアチア戦争

民族紛争があるとか聞いたので、成敗!

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この頃、帝国内の内乱は一応の終結を見せる。


冬戦争

フィンランド領土の一部を租借する話を持ちかけたが断られたので、成敗!
やたら防衛戦に強い元帥などいなかったので、楽に制圧。
フィンランド王は東の地に逃げ込んだため、フィンランド王即位は延期となった。

皇帝がフィンランドへ遠征する中、諸侯が再び反旗をひるがえす。(また内乱の危機orz)


ルーシ戦争

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特に理由はないが成敗!ルーシ王に即位。


対クマン戦争

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ルーシへの干渉は、東の大国クマンを刺激する結果となり、
フランケン帝国とクマンはなし崩し的に戦争状態となった。

数万の兵を繰り出すクマン軍に対し、帝国軍は補給線が伸びきっており、
せいぜい数千から一万の軍で応戦するのが精いっぱいであった。
この危機の前に、皇帝自らも陣頭に立ち果敢に指揮をとったが
クマンの名もなき兵士の放った矢が、皇帝の額を直撃。即死であったという。


後世の評価

ウルリッヒ帝は周囲から特に期待もされずに即位した皇帝であったが、
実際に親政を開始すると、古のトラヤヌスやカールすらも凌ぐ征服者となった。
その威信(17万超え…)は遠くペルシアやインドの地まで轟いていたという。

しかし帝国の急激な拡張に対し、政治・経済システムが追いつかなかったのもまた事実である。
皇帝は、帝国の拡張には熱心であったが、国内の経営にはそれほどの熱心さを見せず
統治の末期には、国内諸侯の大規模な反乱に手を焼くこととなった。
ウルリッヒ帝の国内軽視の政策は、帝国諸侯の増長を招き、
次代以降の皇帝にとって大きな悩みの種となるのであった。

また彼にまつわる民間伝承として、彼が密かに聖骸布を入手したというものがある。
彼が当時にしては珍しく、71歳という長寿を誇ったことから作られた伝説であると考えられていたが、
近年発見された当時の史跡にも聖骸布と思しきものの記録が見受けられ、今後の研究成果が期待されている。

次代フランケン朝の中興/Dietrich1
フランケン朝の中興


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Last-modified: 2008-07-25 (金) 08:05:11